医療介入とは 61 <近代産婆と急がせないお産>

昔の産婆さんのお産は自然で良かったのか。
昔とはいつの時代の、どの産婆を指しているのか。


その疑問を同じ助産師の立場から書かれたものがあります。


和田みき子さんという方のブログ「お産を待ちながら」の2008年10月26日の記事、「昔のお産は良かったか 2」から引用させていただきます。
http://midwifewada.seesaa.net/article/108611176.html

旧産婆と新産婆の助産術を比べるとき、「坐産(会陰保護なし)」vs「仰臥位・側臥位(会陰保護あり)」という図式が当時すでに描かれています。
しかし、分娩介助で、体位や会陰保護よりもっと重要はポイントは、お産を急ぐかどうか、つまり陣痛が始まって子宮口が開いていく分娩第一期(開口期)に無理やり腹圧をかける(いきむ)ことをするかしないかという点にあるように思われます。

この時代の女性たちは、新産婆になって「自分の力で産む」ことから、「産ませてもらう」ことに変化したように感じていたといわれます。
もしかすると彼女たちは、産婆の指示に従って早くから腹圧をかけることを「自分の力で産む」と錯覚していたのかもしれません。

座産や力綱にぶらさがっていきんでいたのは、産婦さんの快適性や主体性というよりはむしろお産を急がせるためという理由もあったのではないでしょうか。


<明治時代の分娩体位と会陰保護>


前回の記事で、近代産婆と無資格者の介助の違いのひとつに、臍帯の取扱いに対する知識と技術の違いがあったのではないかと思われることを紹介しました。


それ以外の違いについて和田みき子氏がさまざまな資料をもとに、とても興味深い内容を書かれています。


「明治時代の分娩体位 1〜3」 2008年10月3日〜
http://midwifewada.seesaa.net/article/107493311.html
「明治時代の会陰保護 1〜3」 2008年10月8日〜
http://midwifewada.seesaa.net/article/107780940.html


座産のリスクや会陰保護の技術がない旧産婆のお産に関して当時の考え方が紹介されたあと、以下のように書かれています。

「坐産はダメ、仰臥位・側臥位がよい」とする考え方は、おそらく明治の末期頃に定着したものではないでしょうか。
お産は急がないほうがいいという考え方は、日本に古くからあるのではなく、西洋医学の導入の過程で育まれたものではないかと私は考えています。
「明治の分娩体位 3」

こうして分娩体位・会陰保護の変遷をたどってみると、一般に信じられていることとは逆に、自然のいきみがこないのに、早くから腹圧をかけさせていたのが、伝統的な産婆であり、会陰保護をしながら、「一度の腹圧を二度にして、二度の腹圧を三度にして」、ゆっくりお産を進めていたのが、新しい教育をうけた産婆だったという、以外な事実が見えてきます。
「明治の会陰保護 3」


<座産と早くからいきませること>


新産婆による新しい出産の技術が広がるまでには、トリアゲバアサンや人びとの中に伝わる昔の方法を変えていくには相当な困難と時間がかかったようです。


伏見裕子氏の「産屋と医療 −香川県伊吹島における助産婦のライフヒストリー −」(女性学年報第31号、2010)の中で、伊吹島に1946年(昭和21年)に赴任した助産婦Nさんが、島の風習を変えることに苦労した様子が描かれています。


しかし、「まだ二十代の若い助産婦のいうことなんて、最初は聞いてくれなかった」という。出産の際、産婦の親戚が大勢集まり、「破水しているのに『風呂に入れ』という」とか、「分娩第一期から『きばれ、きばれ』という」など、医学的根拠を欠いた助言が飛び交うなかでは、しばしばNさんの言い分が無視されることがあった。


現代の助産師にすれば、少なくとも分娩第一期にはいきませないことは当然の知識としてあります。(経産婦さんの場合は必ずしも全開を待つ必要はないのですが)


ところがこうして聞き語りで歴史をさかのぼって行くと、おそらく1950〜60年代の施設分娩へ移行する頃までは無資格者の介助で早くからいきませることをしていた地域もまだたくさんあるのではないでしょうか。


そう考えると昔の人が力綱につかまったり座って出産していたのも、あるいは「寝ていては力が入らない」というのも、もしかしたら適切な時期にいきむのではなく早い時期からいきんで早くお産を終わらせようとしていたからではないかとも思えてきます。


そして和田みき子氏が書かれているように、「自分で産む」「産ませられる」というとらえ方も早い時期からのいきみを「自分で産んだ」と錯覚していた可能性もあるかもしれません。


昔のお産は本当に良かったのでしょうか?


<おまけ>


和田みき子氏のブログを知ったのは、2010年のビタミンK2レメディの事件の後でした。
ホメオパシー問題について」 2010年8月11日
http://midwifewada.seesaa.net/article/159141957.html