記憶についてのあれこれ 151 ショッピングモール

「ショッピングモール」という言葉も最近では珍しくなくなったのですが、日本で広がり始めたのはそう昔でもないのではないかと思い返しています。どちらかというとショッピングセンターの方が馴染みがあるかもしれません。

 

1970年代ごろには地方でも個人経営のスーパーマケットができ始め、そのうち全国展開する大型のスーパーマーケットがショッピングセンターと呼ばれていろいろと話題になった記憶があります。

品揃えや価格の安さで、そういう大型店と既存の地域の小さな商店との競合というあたりが問題になっていた印象です。

 

エスカレーターやエレベーターがある「商店」というのは、それまでは地方でも大きな都市にあるデパートぐらいでしたし、デパートというのは高価格なものを扱っている別格の場所でしたから、ショッピングセンターの出現は時代が変化したと感じさせるものでした。

 

*東南アジアのショッピングモール*

 

私が初めて「ショッピングモール」という言葉を知ったのは、アメリカでもなく、1980年代の東南アジアでした。

貧しい国を助けるのは当然と「先進国」から意気揚々と出かけた私を驚かせたのは、首都にいくつもある大型のショッピングセンターでした。「モール」と呼ぶらしいのですが、持って行った辞書にも意味が乗っていなくて感覚的にその意味を覚えたのでした。

最近は、日本でも郊外に大きなショッピングモールがありますが、あのレベルの巨大なモールがいくつもありました。

 

とりわけ多種多様な大きなパック詰の製品が山積みになっている食品売り場は、今ならアメリカ資本の大型店で珍しくなくなりましたが、当時は日本にはないまさに度肝を抜くような広さでした。

日本では隣近所で分け合うような大きな製品を、どんどんとカートに入れて行く人たちでいっぱいで、「9割が貧困層」の意味を実感したのでした。

 

その国では鉄道はほとんどなくて、市の中心部に乗り合いバスなどが集まり、そこにどんと大きなショッピングモールが建っていました。

その国の生活を観察するうちに、人はたくさん集まっているけれど多くの人はウインドウショッピングで、実際の買い物は市場なのだろうという印象でした。

 

最近、あちこちを散歩するようになって、日本のこうしたショッピングモールにも立ち寄ることがあるのですが、いろいろなお店があって惹きつけられる反面、案外、私自身は購買意欲をそそられないのです。

洗練された新しい雰囲気へのこだわりをその豊富な品揃えから感じても、あまり実用的ではないから購入する必要がなさそうに感じてしまうのです。

むしろ小規模でも市場のような雰囲気の場所の方がこまごまと買い込むことがあるのですが、これは好みの問題でしょうか。それとも、買い物も失敗を繰り返してきた年の功でしょうか。

 

買い物についても驚異的に変化した時代だったのかもしれないと回想しています。

 

 

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