「ケア」ってなんだろう。
私が看護師になった1980年代初頭から、ずっと意識してきた言葉でした。
最初の頃は、「キュア(医師の治療)」に対して、社会から一段も二段も低く見られている「ケア(看護)」へのむなしさのようなものでした。
それに対しては日々の看護実践を通して、今は自分の仕事へのねじれたコンプレックスのようなものからもほぼ解放されています。
そして、自分に適した仕事が与えられていたのかもしれないと思います。
ある時点からはむしろ、「ケア」を日本語でうまく表現できないことへの葛藤が大きくなりました。
最近では「生活を整える」あたりかなと、自分の仕事を振り返っています。
医学的な視点と社会的な視点の両方から見通しをたてながら、その対象が日常生活をよりよく過ごせるように援助する。
そんな感じでしょうか。
少し「ケア」が見えて来たと思った頃に、大いに私を戸惑わせたのが2000年頃からの代替療法の復活でした。
こちらの記事で書いたように、近代医学とそれ以前の代替療法という整理のしかたがすっきりするのではないかと思うのですが、2000年代以降はむしろ「癒し」とか「寄り添う」といった表現とともに、ケアの領域に重なり合う印象です。
治療効果はプラセーボ効果が主であることを、やんわりと隠しながら広がっているのかもしれません。
たとえば産後ケアという言葉も、私が考え続けているケアとは何か違うのですが、社会の中に広がり受け入れられていくようです。
そしてここ10年ほどは両親が介護される当事者になり、ケアすることとされることを考える時にどのような視点が必要なのだろうと探しています。
ケアってなんだろう。
そんなことを考え続けています。
<2014年>
1. 基本的欲求に対する援助
2. 「ケア」の語源と意味ー「ケアの社会学」より
3. 子どもを社会で見守るということ
4. 「健やかなるときも、病めるときも」
5. 「家族の失敗」とは
6. 足りない機能を補うものだけではない
<2015年>
7. 育児ではなく保育のほうがより本質的な言葉かもしれない
8. ケアの専門性とは
9. ケアを受ける当事者になるということ
10. 「ケアされるとはどんな体験か」
11. ケアする側の声はイデオロギーになりやすい
12. 基本的欲求にどこまで対応できるか
13. 「実はこんなにスゴかった 日本の看護師」
14. やりがいという麻薬
<2016年>
15. ケアの独善性
16. 私のケアの原点のようなもの
17. さて、死んだのは誰か。死化粧
18. 終の住処に必要なことは何か
<2017年>
19. 相手のことをわかっていないことを認識する
20. 乳児保育の質とは
<2018年>
21. 「重荷としてのケア」
22. 買物や洗濯・・・日常生活への援助のひとつ
23. ケアへの要求が高まれば、ケアの質も高くなる
24. 買物ひとつとっても個別性がある
25. 観察と神秘
26. 面会は非日常の時間
27. 面会とは何か
<2019年>
28. 相手を褒め称える
29. 介護施設と植物
30. 死を考えていないのか?
<2020年>
31. 未曾有時の日常生活援助
32. 隔離と停留の日常支援
33. 日常生活が途切れる時の支援
34. 未曾有の感染症に対応している介護の方々
35. 生活を把握するシステムがない
36. 「コロナ禍での育児支援を学ぼう」
<2024年>
37. 「新しい認知症観」?ケアにイデオロギーを必要とするのは誰か。