発達する 14 <社会全体が発達する>

「発達する」という言葉で記事を書いているのですが、どこまでその言葉の意味を理解しているかと言うととても表層的でしかありません。


たとえばコトバンクに掲載されている「デジタル大辞泉」の解説に、「からだ・精神などが成長して、より完全な形態や機能をもつようになること。『心身が発達する』」「そのものの機能がより高度に発揮されるようになること。『文明が発達する』『交通機関が発達する』」といったニュアンスで、この言葉を私は使っています。


ですから、今日のタイトルの「社会が発達する」という使い方も、それで正確に言いたいことを表現できているか自信がないのですが、10年以上続けて来た競泳観戦からの印象を表すとそんな感じです。



<「百分の一秒差」の感覚>


ほとんど競泳のことを知らなかった私ですから、最初の頃は競泳大会で何を見ていたかというと、一番になった選手は誰かということでした。
少しずつ選手の名前や、どの種目で強い選手なのかが記憶に残ってから、初めて数値で表される記録が目に入り始めました。


競泳大会の電光掲示板にはスタート反応速度、ターン時のラップタイムが表示されています。
2004年頃の大会だと、入場するとA3用紙に決勝進出選手が印刷されたスタートリストが渡されてましたが、周囲を見ると、そのスタートリストにこの数値を書き込んでいる人が大勢いたことが印象的でした。
「順位だけではない他のことを見ているのだろうか」


競泳の解説を聞くことで、それが少しずつ見えてくるようになりました。
スタート反応速度やラップタイムのわずか百分の何秒の差がタイムに大きな影響を与えることに。
そしてただがむしゃらに泳げば速くゴールできるのではなく、ペース配分をするための大切な数値のようです。


それが重なり合って、日本新記録になり、そして世界新記録につながっていくのだということが。


最近では、電光掲示板のラップタイムと選手の泳ぎ方を見ていると「これは日本記録が出そう」という勘も働くようになったので、私の体にも百分の一秒のデーターがかなり刻まれてきたようです。


<「百分の一秒」差の新記録>


50mとか100m自由形や背泳ぎといったスプリント種目だと、ゴールタッチもほぼ同時にみえるほど激戦になることがあります。


タイムとゴールの水中映像がすぐに映し出されるのですが、観客席から見て優勝したかと思った選手のほうがたしかにわずかの差でタッチが遅れていたことがわかることがあります。
ほんとうに「間一髪」と表現する「髪の毛」ほどの差です。


それが「百分の一秒」であり、その差が「日本新記録になるかどうか」「何位になるか」の運命の分かれ道になるのですから、本当に過酷な再現性を求めた闘いですね。


一旦、その日本記録が出されると、その後また何年も、時には20年近くその記録を更新するための闘いになるところも過酷だと思いました。
わずか百分の何秒で、なかなか日本記録が破られないのです。


ところが、「100m自由形の50秒の壁」のように、一旦破られると、数年後には百分の何秒どころか1秒以上も記録が更新されるのも不思議です。
なにか突破口を脱したかのように、ぐんぐんと記録更新の時代に入っていく。


もちろんそこには突破口を突き抜ける役の選手がいたのですが、それだけではなく、もがき苦しんでいた同時代のたくさんの選手という土台があったからこそなのだろうと思えるのです。


その印象を、「社会の発達」と表現してみたくなったのでした。





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