せわしなく時間に追われている生活でも、「秒」を意識する機会はどれくらいあるのでしょうか。
仕事で人の脈拍数を測定するのに「1秒」を意識していますから、けっこう1秒の感覚の正確さには自信があります。
出生直後の新生児だと、心拍数が1分間に160前後ありますし、すこし落ち着いてきても1分間に120前後ですから、「1秒間に2〜3回の心拍の拍動」があります。
1秒間というのはけっこう長いのだと感じます。
それでも、日常で使用する時計やストップウォッチは、秒単位しかわかりません。
競泳を観戦するようになって、「百分の一秒」まで正確に測定する世界があることに、恥ずかしながら気づいたのでした。
改札のタッチパネルでの動きの個人差への苛立ちを数値に置き換えて感情を整理できるようになったのも、この競泳観戦のおかげだと思っています。
先日、世界水泳の4×100mリレーの代表がようやく決まり、古賀淳也選手がリオオリンピックに続けてリレーメンバーになったニュースにほっとしました。
4月の日本選手権では、専門の50m背泳ぎで優勝したものの派遣標準記録を下回ってしまい選考からもれてしまいました。
100m自由形でも、日本選手権では4位、ジャパンオープンではB決勝で、フリーリレーメンバーの選考はこの6月の大会まで待つことになったのでした。
<100m自由形、「50秒の壁」の時代>
私が競泳大会を観にいくようになった2004年頃は、まだ日本の男子自由形100mで「50秒」を切った選手がいなくて、大会のたびに「49秒台が出るか」という期待と緊張が会場に感じられた頃でした。
Wikipediaの「100m自由形の歴代日本記録一覧」にあるように、私が競泳観戦を始めた頃の100m自由形をひっぱっていたのは奥村幸大選手や細川大輔選手でした。
男子100m自由形というのは、あの50mプール1往復をこんなに速く泳げる人がいるのかと、水しぶきを上げてゴールタッチも何がなんだか見えないほどの熱戦です。
練習では49秒台を出せていても、公式戦ではなかなか50秒を出せない。
大会のたびに、会場から悲鳴のような声があがるのでした。
初めて「50秒の壁」を破ったのが佐藤久佳選手でした。
このニュースを、鳥肌が立ちながら聞いた記憶があります。
世界大会では決勝進出は48秒台とか47秒台へと進んでいる中、やっと日本では49秒台に入ったのですが、その後の国内大会でもなかなか49秒台を出せる選手が増えず、まだまだ「50秒の壁」というなにか精神的な枷(かせ)を選手から感じました。
その後、佐藤選手や藤井拓郎選手が48秒台の記録を出し、リオオリンピックでは中村克選手が47.99秒という現日本記録を出しました。
日本の国内大会でも、決勝では48秒台の闘いが当たり前の時代になっているのをみると、わずか10年ほど前のことがはるか昔のように感じる変化です。
古賀淳也選手は、5月のジャパンオープンの予選では49.89秒で9位のため決勝に進めず、B決勝でも51.80秒で8位でした。
今回は49.59秒を出して、メンバー入になったようです。
「百分の何秒」という感覚を例えると、私には新生児の心拍数1回分でしかないのですが、それでも0.5秒前後です。
それよりももっともっとわずかな記録のために練習を積み、大会できっちりとその秒数を再現させる。
競泳大会に惹かれるのは、そのあたりもあるのかもしれません。
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