食べるということ 1  <食べものの記憶>

帝王切開について考える」はまだまだ続きますが、少し別の話題を入れながら続けようと思います。


さて先日の夏休みの課題図書のひとつ、doramaoさんの「管理栄養士パパの食育BOOK」の「終わりに」はこう書かれています。


小さな頃の記憶はとても曖昧ですが、食べものに関する記憶だけは鮮明に残っています。もしかしたら私がいやしいだけかもしれませんが、食べもののことって、すごく記憶に残っているような気がしませんか?


この一文だけでも、doramaoさんの「食」に関する知識がどこから来て何を追求しているのかがわかったような気がしました。
そして、わたしがdoramaoさんのブログにいつも共感を感じる理由ともいえます。


私も小さい頃の「食べものの記憶」をこちらの記事に書きました。
兄弟の入院に母が付き添ったため祖母に預けられたのですが、好物を準備してくれたのに頑として食べなかったあの日の記憶が鮮明に残っています。


その食べものとはデンブです。へえー、田麩って書くのですね。初めて知りました。
デジタル大辞典では「タイなどの魚肉を細かくほぐし、砂糖・醤油・みりんなどで味付けし、煎った食品」と書かれています。
小さい頃はそれがあればご飯を食べていたのでしょう。


今はほとんど食べることはなくなりましたが、デンブを見ると必ずあの夜の記憶が蘇ってきます。


続けて、doramaoさんの告白が書かれています。

私が特によく覚えているのは、"冷えた豚肉のみそ焼きについている分厚い脂身"や"大きな焼きナスのブヨブヨした白い部分"などの嫌いな食べものを食べさせられたときのこと。「無理しても食べなさい」と言われたときの絶望的な気持ちも忘れられません。給食の豚肉はずっと苦手でしたし、ナスは今でも食べません。つまり、子どもにとって、食材や料理の第一印象は大切なものです。


あーーー、これも本当によくわかります。私も肉や魚の脂っぽさは苦手で、家でも給食でもあの脂身を「残してはいけない」と言われて、吐きそうになりながら涙もいっしょに飲み込んでいました。
大人になって、自分で赤身の部分を選べるようになって本当に助かったとさえ思う経験でした。


そして給食といえば、必ずクラスに一人は居残りで全部食べるまで許してもらえないクラスメートがいたことです。
みんなが昼休みになっても、机に座らされて全部食べるまで先生に許してもらえません。
その子の机の引き出しから、カビが生えたパンや少し腐った食品がでてきたこともありました。


そんなにしてまで給食を食べさせようとしなくてもいいのではないか。
でも小学生ではそういうこともうまく先生には言えませんでした。
あの友だちの顔は今でもはっきりと思い出せるほどです。


doramaoさんのブログでは、「栄養的なバランスも大事だけれど、手を抜いていいのでは」「楽しく食べられることが大事」という気持ちがそこかしこに感じられました。


それはもちろん大人に向けてのメッセージではあるのですが、doramaoさんはいつも「こどもの気持ち」から考えを深めているのではないかと思います。
私が母乳やミルクあるいは出産の話を、大人の視線ではなく新生児側から考えたいと思うのと似ているなと感じたのでした。


doramaoさんの本を読んでいろいろ浮かんできたことを、「食べるということ」で不定期になりますが書いてみようと思い立ちました。




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