記憶についてのあれこれ 118 <ハンガリーと東ヨーロッパ>

世界水泳を観るようになってから、ハンガリーという国名に親しみを感じるようになりました。
選手名までは覚えられないのですが、準決勝・決勝ではよく聞く国名で、競泳の強豪国だという印象でした。


特に、カテインカ・ホッスー選手やラースロー・シェー選手に注目するようになってからは、ハンガリーはどうして息の長い強い選手を育てているのだろうと気になっていました。


Wikipediaハンガリーの「スポーツ」には、こんな説明が書かれていました。

近代オリンピックは、夏季・冬季共にオーストリアハンガリー二重帝国のころからハンガリー王国として第1回から参加している(1920年1984年は不参加)。2012年のロンドンオリンピックまでの獲得メダル数は482個である。211の歴代参加国・地域のうち獲得総メダル数は8位である国民一人あたりのメダル獲得率(メダル獲得数÷人口)は世界第2位であり、金メダルに限ると3位である。特に陸上競技、フェンシング、射撃、水球、競泳、近代五種競技にて活躍が見られる。特筆に値するのは、水球で獲得メダル数42個で歴代8位、競泳女子では同8位である


水球も強い国だったのですね。今回の世界水泳では、水球の会場も競泳と同じようにすごい声援だったのでしょうか。
開催国ハンガリーの水泳事情や歴史がわかると、世界水泳も違った視点が増えるかもしれません。


もうひとつ、Wikipediaを読んでいたら、「科学」の箇所に、あのルービックキューブを発明した人がこの国出身であることが書かれていて、ますます親しみを感じたのでした。



<カテインカ・ホッスー選手が生まれた1989年>


私が高校生だった1970年代半ば、世界史の授業はとても好きで、博識だった世界史の先生のことはよく思い出します。
特にヨーロッパ史の「○○家」からどのように国家が分かれていったとか、滔々と話されるのに聞き入っていました。ただ、正確に記憶する能力よりは、授業を聴きながら「なんで△△ベニアのような名前が多いのだろう」とか、夢想の世界に入ってしまいやすかったので、成績はまあまあといったところ。


ヨーロッパ史の分裂や統合を繰り返す複雑さが苦手だったのですが、もうひとつ、当時、東欧は冷戦時代という現代史のまっただ中にありました。
西ヨーロッパの明るいイメージとは対称的な、自由がなく抑圧された国々のイメージが強く、その現実から目をそらしたかったということもあったかもしれません。


Wikipediaハンガリーの歴史を読むと、「1989年10月23日、ハンガリー共和国憲法施行により、多党制に基づくハンガリー第三共和国が成立した」とあります。
1989年といえば、ベルリンの壁崩壊がすぐに思い出されるほど、印象に残った年でした。
遠いヨーロッパの国々の激動の時代を目の当たりにした、そんな感じです。


カテインカ・ホッスー選手は1989年5月3日の生まれですから、ハンガリーが大きく変わりつつある年に生まれていたようです。


ちなみに、世界水泳選手権の第1回は1979年にユーゴスラビアベオグラードでの開催だったようです。
そして、現在はユーゴスラビアという国はなくなりました。



世界地図も好きだった私ですが、今でも東ヨーロッパの国々の位置関係が覚えられないままでいます。





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