水のあれこれ 73 <水と酒>

福生駅から下って、清岩院の湧水を見たあとはまたしばらく玉川上水に沿って段丘の上を歩き、熊川あたりでぐいっと玉川上水は拝島方面の内陸部へと流れを変えるあたりで、私はそこから多摩川沿いの奥多摩街道へ。
ところどころにある脇道の先を見ると、急な下り坂が見えるので、この街道は段丘のへりに沿って通っているようです。


しばらく歩くと、お酒の名前が書かれている高い煙突が見えてきました。
やはりありました。
水の豊かな土地には、酒蔵があるはずですからね。
30年ほど前に玉川上水を辿って歩いた時にも、いくつかの酒造店があった記憶があります。


奥多摩街道の内出交番前を多摩川方向に曲がると急な下り坂になり、その途中に石川酒造の蔵やレストランなどがありました。
まだ今日の散歩の序盤ですし、ここで誘惑に負けてしまったら目的地まで行けないかもしれないとためらいましたが、やはりふらりと中へ。


日本酒は飲むとしても少量で、味は辛口が好きなのですが、残念ながら辛口のお酒は四合か一升瓶しかなく、とても持って散歩をする気力はなかったので少し甘口の二合を購入。
本当は試飲もしたかったのですが、そのまま散歩を中断しそうなのでそれはぐっとこらえました。


帰宅してから、福生市についてWikipediaを読むと、年表に「1887年(明治20年) 石川弥八郎(千代蔵)、ビールの製造に着手」とあり、あ、そういえば売店にビールがあったと思い出しました。
明治20年、日本の社会が急激に西欧化していった時代の雰囲気はどんな感じだったのでしょうか。


Wikipediaの石川酒造の「概要」を読むと、その後一旦ビールの製造は中止し、1998年から再開されたようです。
1994年に地ビールが解禁された頃、時々購入していた雑誌「danchu」で地ビールの特集があった記憶がありますが、それまでなかったビール製造の伝統を新しくつくり出すのは大変だろうと思っていました。
明治時代にはすでにビール製造を始めていた小規模な会社があったのですね。
せっかくだから、あのビールを飲んでくればよかったと後悔しています。


日本酒は清らかな水が豊かにある場所で作られることは知っていましたが、この酒蔵の位置を、改めて「ハケ」という地形から見ると違った背景が見えてきそうです。
水田があり、豊かな水に恵まれた武蔵野台地ハケ下と、水田も水も少なかったハケ上では、お酒に関する文化は大きく違っていたのだろうなと。



そういう視点で酒造めぐりをするのも楽しそうです。
今度は「湧水と酒造」をテーマに、また散歩をすることにしましょう。
ええ、もちろん地形の勉強ですからね。



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