散歩をする 52 <滄浪泉園>

お鷹の道から国分寺崖線のハケ下の湧水を巡る散歩の続きです。


<滄浪泉園(そうろうせんえん)>


前回の貫井神社からハケに沿ってしばらく歩くと、新小金井街道に出て、貫井トンネルがあります。
中央線が高架化されていなかった90年代でも、この新小金井街道は中央線の下に深くもぐるように作られていてその先にトンネルがあるのを、何故だろうと不思議に思っていた場所でした。
今回、ハケの下側から貫井トンネルを見て、国分寺崖線のヘリだからこその構造であることがわかりました。


そしてその貫井トンネルの上は住宅地と鬱蒼とした雑木林がある、不思議な光景です。


その雑木林のような庭園が、今回の次の目的地である「滄浪泉園」です。
残念ながらWikipediaはないのですが、検索すると「東京散歩」というサイトに写真が載っています。

入り口でいただいたパンフレットには、以下のように説明が書かれています。

滄浪泉園は、明治・大正期に三井銀行などの役員、外交官、衆議院議員などを歴任、活躍した畑野承五郎(雅号・古渓)により、武蔵野の特徴的な地形である「はけ」とその湧水を巧みに取り入れて整備された庭園を持つ別荘として利用されて来ました。

その名の由来は、大正八年、この庭に遊んだ犬養毅(雅号、木堂)元首相によって、友人古渓のために名付けられたもので、「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を洗い清める、清々と豊かな水の湧き出る泉のある庭」との深い意味を持っています。


思わぬところで犬養道子さんの祖父とのつながりがありました。


当時は三万三千平方メートル余りある広大な敷地だったそうですが、昭和に入り、宅地化の流れで三分の一ほどになってしまったそうです。


三井鉱山の役員であった川嶋氏の手に移り、茅葺の大きな家や長屋門などが風雅なたたずまいを見せていた」とのことで、庭園にすることでこのあたりのハケの姿が守られていたことが、以下のように書かれています。

 長い間人手が加えられていなかったため、今では崖上、斜面、低地、水辺とそれぞれに植物がすみわけて安定した生態系を構成しています。これらの植物は、「はけ」の崩壊を防ぐとともに多くの生物の棲息を可能にしています。そして木の実や虫を求め、四季を通してたくさんの野鳥も集まってきます。
 また、滄浪泉園内には、煙や大気の汚染を嫌う杉、赤松(推定樹齢100〜130年)等が数多く残り、一部には関東ローム層(所謂赤土)の地、独特の風情である二段林の特徴も見られ、今ではこの付近では見られなくなった、フデリンドウニリンソウ、キンラン、ギンラン、などの野草も数多く残っていることは貴重な自然といえます。


中央線からはこの庭園は見えなかったので、武蔵小金井周辺にこんな場所があるとは想像もつきませんでしたが、今回「東京湧水 せせらぎ散歩」の本で初めて知ったのでした。


庭園の入り口は、市街地の整備された道路に面していますが、一歩踏み入れると、本当に別世界が広がっています。


殿ヶ谷戸庭園と同じく、入り口から少し歩いた所からは急な坂道が続き、大きな池がありました。
池の周囲に遊歩道が整備されているのですが、あちこちで湧き水が出ていて池に流れています。
雑木林の中なので薄暗かったのですが、目を凝らすと水が透き通っていて池の底がはっきりと見えました。


すぐ隣りに貫井トンネルがあり、新小金井街道に面している部分もあるにもかかわらず、湧水の水音しか聴こえないほどの静寂です。
一日中でも居てみたい、本当に「俗塵の汚れた心を清める」ような場所でした。


後ろ髪を惹かれつつ、今日の最後の目的地である野川公園まで、ハケ下の道を歩きました。




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