水のあれこれ 103 消雪パイプ

分水を訪ねた後、長岡市内を歩いてみようと計画していた理由が2つあります。

 

5月にひたすら川と海を見に東北を訪ねた帰路は、新潟駅から上越新幹線を使いました。

その車窓から風景を眺めていたら、燕三条を過ぎたあたりからでしょうか、「道路が茶色い」ことに驚きました。

雪国と関係しているのだろうと思いましたが、全ての道路が茶色いわけではなく、場所によっては色が変わっていない場所もありました。

 

実際に歩いて確認してみたい、それが理由のひとつでした。

 

長岡駅から大通りを歩くと、地面に小さな丸い物が埋まっています。

そこを中心にして茶色くなっていることに気づきました。

雪を溶かすためのスプリンクラーのような施設のようです。そしてその水を調節するポンプ施設が歩道にありました。冬になると道路から散水されている映像をニュースで時々見かけるのですが、そのあとが茶色になるとは想像がつきませんでした。

 

帰宅してから、こんなことまでネットで検索しても答えはないだろうと思ったのですが、すぐに「長岡発の雪国名物『消雪パイプ』。その驚きの仕組みとその歴史に迫る!」という記事が見つかりました。

 

*「冬でも温かい地下水を利用」*

 

この「消雪パイプ」は長岡発祥だそうです。

(略)基本はどこでも 同じく除雪車による除雪が中心だが、新潟県長岡市には独特の消雪設備が備えられており、雪が降り続く際にも通行を確保できる。それがこの街発祥の「消雪パイプ」だ。

 

県外からその長岡を初めて訪れた人の多くは、道路から水が出る光景に驚く。「雪対策用にすべりにくい靴できたつもりだが、道路にたまった水で靴を濡らしてしまった」という声を聞いたこともあるし、「冬の長岡に初めて来た方に『どうして道路にスプリンクラーがあるんですか?!』って驚かれたこともありますよ」という話も聞いた。雪の降っていない季節でも、「長岡って路面という路面が茶色いですよね。最初驚きました」と言われ、あらためて横断歩道の白い線や道路そのものが一面茶色っぽく、その風景が異様なことに気づかされた。路面の茶色は、消雪パイプから出る水に鉄分が含まれているためだ。

 

「冬でも温かい地下水を利用」しているそうです。

消雪パイプは、井戸を掘り、ポンプを設置して地下水を汲み上げ、パイプを通して道路に散水し、融雪する設備だ。地下水は冬でも13〜14℃と温かいため、雪を溶かすことができる。 

 

車窓からはただ一面、茶色いように見えたのですが、実際に歩いてみるとパイプからの散水によって茶色の模様もグラデーションを描いていました。

 

*「消雪パイプ」と「柿の種」*

 

長岡市に初めて消雪パイプが設置されたのが1961(昭和36)年ですから、私が生まれた頃のようです。

その消雪パイプを考案した方は、「元祖・柿の種」の創業者だそうです。

長岡市坂之上町の市道で、公道1号となる消雪パイプが設置されたのは昭和36年のこと。その有用性は瞬く間に知れ渡り、市内では消雪パイプの導入が広がっていった。発案者の今井氏は、消雪パイプ実用新案権を昭和39年に登録。しかし翌年「消雪施設の改良と研究のために」と、その権利を長岡市に無償譲渡した。その後、長岡市も昭和44年に消雪パイプ実用新案権を一般公開し、この画期的な仕組みは全国の雪国に広がっていくことになる。

 

消雪パイプを発案しながら、自らの利益を顧みず多くの人々を助けるためその権利を譲渡した今井氏。同氏は「柿の種」の生みの親でありながら、商標をとらなかったという逸話もある。結果的に「柿の種」は多数のメーカーで作られ全国区の米菓となり、消雪パイプも全国の雪国に広まった。どちらにも今井興三郎氏の人となりがみえるようである。

 

記事では秋から始まるメンテナンスについても書かれていました。

 

雪国の除雪について知らないことばかりですが、茶色い道路からその歴史の一端を知ることができました。

そして溶ければ水になり、さらに融雪のための水を流すのですから、雪国の治水というのは一年中を通してなんと大変なことなのでしょう。

 

今度は冬に長岡を訪ねてみたいと思いました。

そして大好きな柿の種を見ると、長岡の街を懐かしく感じるようになりそうです。

 

 

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