観察する 63 座れる場所がない街

あちこちを散歩するようになってだいぶ歩けるようになりましたが、たぶん、今の限界はおよそ2万5000歩ぐらいです。

最初の5000歩ぐらいを越えると、「どこかで座ってひと休みしたいな」と思い始めます。

最初の頃は無計画な歩き方をしていたのか、あまりこの「ひと休みしたい」という休憩を予定していなくて、どこかに座れる場所があるだろうくらいに思って失敗したこともありました。

まあ、どこにでも腰掛けてしまえばいいのですが、問題は歩道もほとんど分離されていないような道を歩き続ける時ですね。

 

ほんとうに安心して、そして休み休み歩ける場所というのは、案外少ないものです。

 

*人が集まる場所には、座れる場所がある*

 

私が高校生まで過ごした地域に行くと、鉄道の本数も増え、人口も少しずつ増えているにも関わらず、駅前は閑散としています。

駅舎も駅前のロータリーも整備され、観光客や地元の人の乗降客も多いにもかかわらず、列車が行ってしまうと、さーっと人の波が引いてほとんど人が歩いていません。

 

1970年代から80年代ぐらいだと、市内で一番大きなスーパーマーケットがあって、駅前の商店街を歩けば、ちょっとおしゃれな服から日用品までほとんど揃っていました。

 

今は空き地が増えて、残っているのは居酒屋さんぐらいです。

どうしてこうなっちゃったのでしょう。車社会だからでしょうか。

さらに、新しくなった駅舎やバスロータリーでは座る場所がなくなってしまいましたし、バスや列車を待つ間にちょっとコーヒーでもと思っても、気軽に立ち寄れるお店も座る場所もなくなってしまいました。

 

駅はただ通過する場所になってしまったようです。

 

「ここは何もないから」と自嘲気味におっしゃる地元の声を耳にするのですが、駅前に雨をしのげて座れる場所を作ったら、ただ座るだけでも素晴らしい風景を見ていられる場所になるのに。

もったいないなと思います。

 

その地域によっていろいろな理由があるとは思いますが、駅前に座れる場所がないことも駅前が寂れていく理由のひとつではないかと、あちこちを散歩するようになって思うようになりました。

 

ちょっとそこで一息ついたら、そして目の前に商店街があったら、ふらりと歩いてみたくなるのですけれど。

 

あちこちを散歩している中でも、気になっているのが谷津駅です。

お店の数は少なくなっているのに、さまざまな年代の人たちが買い物にきていました。

通りのあちこちに石で作られたベンチがあります。それが理由かもしれません。

 

「人が集まる場所には、座れる場所がある」は私の勝手な仮説ですが、歩く人が休めるベンチや場所を作りますという公約を掲げる人がいたら、絶対に投票するのですけれどね。

 

 

 

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