国立科学博物館付属自然教育園は、これまでも近くまで散歩をしていながら閉園時間や休園日だったり、入る機会がないまま過ぎていました。
緑の中に水色の部分がある、地図を見ているとすぐにでも行きたい場所の一つなのですが。
桜が咲き始めた季節とあって、平日なのにお隣の東京都庭園美術館にはたくさんの人がいました。
自然教育園も混んでいるかなと心配になりましたが、こちらはほどほどの人出でした。
歩き始めたところで、スミレの群生した場所があちこちにありました。
タチツボスミレではなく「アオイスミレ」と標識がありました。
スミレが大好きという割には、その標識がなければタチツボスミレだと思う程度の知識です。
*水はどこから来るのだろう*
自然教育園は航空写真ではわかりにくいのですが、園内は高低差がかなりあって、池の方へはけっこうな斜面になっています。
途中に、室町時代の豪族によって造られたらしい土塁の説明がありました。
前に見られる土盛りが土塁です。
この土塁は、今から400〜500年前、白金長者とよばれる豪族によって、外敵や野火を防ぐために築かれたと考えられています。
土塁は、園の周辺や館のまわりに築かれ、その上にシイの木を植えたといわれています。
自然教育園の池や沢の水は、北側にある土塁の下を通って外へ流れますが、この出口を閉じると上流部が大きな池になるように作られています。
土塁の中に水路が造られていて、あの地図にある水色の池や湿地になっているようです。
自然教育園の前の目黒通りの反対側に、池田山公園や八芳園がありますが、山手線の車窓からでも高台に見えるこの白金台に水が豊富にある場所がいくつもあるようです。
三田用水ができる以前から、水が豊富な高台は力のある人たちによって押さえられてきたのだろうかと想像しながら、園内の水辺を歩きました。
*手を入れずに変化を観察する*
鬱蒼とした林の中を歩いていると、「林の移り変わり」という説明がありました。
この林は、1960年頃にはまだ若いマツ林でした。しかし、自然教育園になって、下刈りなどの手入れをやめるとウワミズザクラ・イイギリ・ミズキなどの落葉樹やスダジイ・タブノキなどの常緑樹がマツ林の下に育ってきました。
1963年頃には、マツは下から育ってきた落葉樹の高木に光をうばわれて枯れ始めました。
今ではその落葉樹も、生長が遅かった常緑樹が高くなるにつれて下枝などが枯れ始めています。やがてこの林は、長い年月の間には、スダジイなどの常緑樹林へと変わっていきます。
このように、林が時間とともに変化していくことを遷移といい、遷移が進んで変化の安定した林を極相林といいます。
あの熱帯雨林の10年の変化を思い出しました。
園内には一見、朽ち果てた木が放置されているかのように見える場所があります。手入れが行き届かないのかと思っていたのですが、この説明を読んで観察されていることがわかりました。
この自然教育園の林が極相林になる頃は、私はこの世にはいないかもしれないですから、森林の変化の観察というのはなんと気が遠くなる時間なのでしょうか。
なんだかこの園内のすべての植物や生物の存在に圧倒されながら、最後に売店で「スミレ ハンドブック」(山田隆彦氏著、2019年、文一総合出版)を見つけました。
スミレだけで80ページにも及ぶ写真付きの説明があり、「スミレ科には23属約800種がある」という出だしの一文で打ちのめされるような感じになりました。
私が見ていること、知っていることなんてこの世の中で観察されていることからしたら、ほんのわずかだということに。
「観察する」まとめはこちら。