境界線のあれこれ 82 <ドーピングと世の中の興奮>

ドーピング検査の大変さは、時々、競泳選手の方々の話から耳にしていました。
いつ検査員が来るかわからないとか、検体の採取方法も選手の人権への配慮が足りないのではないかと驚くようなものでした。


検索すると、デイリーニュースに「柔道金・松本薫が明かすドーピング検査の実態・・・女性もたったまま、覗き込まれ」(2016年12月31日)の記事があり、具体的なことが書かれていました。

 リオ五輪柔道57キロ級銅メダルの松本薫(29)が31日、関西テレビで放送された「胸いっぱいサミット!大晦日2時間SP」に出演。スポーツ界のドーピング検査の実態を赤裸々に語った。


 覚せい剤取締法違反(所持)で逮捕され、今月19日に不起訴処分で釈放された歌手ASKAが、任意の薬物鑑定の際、「尿の代わりにお茶を入れた」と主張している事に対し、松本は「ドーピング(検査)と同じにしたら、こんなごまかすことできないと思います」と断言しt。


 アンチ・ドーピング機構によるドーピング検査は抜き打ちで徹底した厳格主義で知られる。トップクラスのアスリートは事前通告なしの競技外検査を受ける義務があり、テニスの伊達公子は2014年12月、就寝中に突然訪問され、検査に必要な90ミリリットルを出し切るまで、午後10時から夜中の2時まで居座られ、ブログで怒りをぶちまけていた。


 松本はドーピング検査の際は(1)女性でも絶対座ることはできず、検査人に見えるような立ったまま尿を出さないといけない (2)服は胸の位置までたくし上げること (3)ズボンは膝下まで下げること (4)洋服の腕の部分は完全にめくること (5)検査人に向かって尿を出し、検査人は尿が出てくるのをのぞきこんでしっかり確認する...など厳格なルールのもと、実施されていることを明かした。


 過去には「この中(服の袖の部分)にチューブを入れて(液体を)出す人とか、もちろん(尿のかわりに)お茶を出す人もあった」と言い、「そういうことが本当にないように」するためのルールだという。


 ロシアでは組織的なドーピング隠しが問題となったが、どうやって逃れたのか?と聞かれると「(ドーピング反応が)出ないようにする薬があるんです」と明かしていた。


Wikipediaドーピング検査を読むと、「居場所情報義務違反」というのがあって、「居場所情報を決められた期日までに提出していない、もしくは内容の更新を正確に行っていない」ことも違反の対象になることが書かれています。



排尿ってとても繊細な生理現象ですし、とてもプライベートな行動なのに、検体採取のためにここまで管理されているのに驚きです。
たとえば、妊婦健診の際には必ず検尿があるのですが、なかなか出ない方がいらっしゃいます。
その場合の検尿はわずか1滴でもできるのですが、しばらくトイレで頑張ったり、水を飲んだりあれこれ試しても、30分たっても「1滴も出ません」と泣きそうです。
トイレに一人でこもっても「出せ」と言われれば出なくなるのに、突然訪問され、目の前で90mlもの排尿が出るまで他人に確認されるなんて、そんな非人道的な検査方法しかないのかとびっくりですね。


デイリーニュースの「ドーピング違反の競泳・古賀淳也 『意図的ではない』サプリメントに混入か」(2018年5月23日)では、古賀淳也選手は「過去に46回検査を受けている」と書かれていました。
さらりと書かれていますが、いつ来るかわからないこんな屈辱的な検査を46回も乗り越えてこられたのは、身の潔白を証明する意思に他ならないと思います。


ドーピングの科学的な知識はほとんどないのですが、このままこんな方法でスポーツ界の方向性はよいのだろうかと、なんだかもやもやしています。


<何が競技に影響するのか>


「タンパク質が足りないよ」よりも1世代あとに生まれた私ですが、牛乳も肉や魚も現代に比べれば少なく、主食などでカロリーを補っていた世代です。
現代っ子のすらりとした、それでいてしっかりと筋肉がついた手足をみるにつけ、良質のタンパク質やカルシウムを子供時代から食べることができると、こんなに体格に差が出るのかなと圧倒されています。
あと、椅子に座る生活へ変化したのも大きいかもしれませんね。


そして経済的に余裕があれば、幼児の頃から専門的なスポーツのトレーニングを受けて自信をつけることもできるのは、本当に良い時代だと思います。
うらやましいけれど、これも生まれた時代を恨んでも仕方がないですしね。


水泳だけを考えても、プールや泳ぐ場所がない地域泳ぐことを学ぶ機会がないままの子どもたちもまだまだたくさんいることでしょう。
経済格差だけでなく、世界を見ると 黒人の選手がほとんどいなかったり、トップスイマーになれるのは限られた国だけといった現実もあります。


Wikipediaの「ドーピング禁止理由」には、「ドーピングは経済的な理由などで使える人が限られるため公平では無い。スポーツは統一したルールのもと、公平に競いあうことが前提である」と書かれています。
それを理由に、上記のような大半の選手にとっては屈辱的で非人道的に感じるであろう検査を身の潔白証明のためだけに行うのであれば、「そもそも、世界中、スポーツをしたいと思っても、すでにどうしようもない不公平な条件が横たわっているではないか」と青臭いことを言いたくなりますね。


ところで素朴な疑問ですが、禁止物質に挙げられているものは、何をどれくらい使用するとどれだけの効果があるというデーターがあるのでしょうか。


競泳を見ていると、その日の会場の盛り上がりだけでも雰囲気がガラリと変わり、選手の背中を後押しして好成績が出ます。
こんな場合には内因性の興奮物質が出て良い結果につながるのかもしれませんが、反対にそれがプレッシャーになれば、練習の時に出していたタイムをはるかに下回る結果に終わることもあるでしょう。


世の中がギラギラとメダルやら新記録を期待するのも、ドーピングと何が違うのだろう。
結果が良ければ持ち上げられ、期待した結果出なかったらうち捨てるかのように批判したり忘れていく、そんな世の中の話題性とか興奮性の方がよっぽど怖いと思うこの頃です。


ドーピングについて、もっとしっかり私も勉強しなければと思った次第です。





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