記憶についてのあれこれ 129 <記憶の空白期間>

今年は唐突にという感じで梅雨が明けました。
1週間ぐらい前まで、まだ朝方に肌寒いほどの日もあったのに、梅雨空がなくなるとこんなに気温が変わるものなのかとあらためて不思議に思います。


夏とか熱帯の気候の方が好きなのですが、この梅雨が明けるころはやはり体が季節に適応するのが大変なのか、なんだか頭がぼーっとしてちょっと気力がなくなるような感覚が毎年あります。
その時期を越えると「夏が大好き!」という気分になって、「日本はこのまま亜熱帯のような気温のままでいてくれたらいいのに、秋や冬が来ないように」と祈ってしまいます。
まあ、秋や冬が来たら来たで「四季がある日本もいいな」と思うのですが。


最近では、4月から5月ごろには夏日まで気温が上がることがあって、ニュースでも熱中症予防を呼びかけるのが恒例になって来た感じです。
そして熱中症の救急搬送数もニュースになります。


正確な定義は知らなくても、熱中症という言葉を知らない人はほとんどいないくらい、日本の社会に定着している言葉です。


この熱中症という言葉を聞くと、私は自分の中の記憶の空白期間を意識させられるのです。



熱中症という言葉を学んでいない>


40年ほど前の看護学生の頃、熱中症という言葉や概念を学んだ記憶がありません。
Wikipedia熱中症の「熱射病」に、「かつては高音多湿の作業環境で発症するものを『熱射病』、日光の直射で発症するものを『日射病(sun stroke)』と言い分けていたが、その発症メカニズムは全く同じものであり、最近では『熱射病』に統一されつつある」と書かれているとおり、学生の頃は熱射病と日射病という言葉と定義を学んだ記憶があります。


1970年代終わり頃から80年代当時、雨季と雷雨に書いたように、都内では猛暑日という言葉を聞いた記憶がないし真夏日も少なかったので、エアコンがある一般家庭は少なかったと思います。エアコンもまだ高級電化製品だったのでしょう、湿疹とあせもに書いたように、勤務先の病院でさえ、消灯になると病室のエアコンは消されていました。
涼しいのはナースステーションだけでしたが、当時、それで患者さんが熱中症のような症状になることもなかったので、やはり気温が今よりも低かったのだと思います。


では、「熱中症」という言葉を聞いたのはいつだったのか。
これが、どうも思い出せないのです。
「熱射病と言っていたものが、熱中症に変わったのか」と思った記憶はあるのですが。


1990年代中頃には、熱中症やその救急搬送という話を耳にするようになったような気もするのですが、Wikipedia熱中症の「疫学」を読むと、「2007年の死亡者は904名だったとの報告もあるが、調査を行なった機関によりばらつきがある」ようなので、まだ全体像が把握されていなかった時期かもしれません。


1980年代頃の私は、どちらかというと暑い外での運動や作業で「熱射病」になるという認識でしたが、90年代後半には「家の中にいても熱中症になる」「高齢者のリスクが高い」という認識に変わったような気がするのですが、どうもその辺りの記憶が曖昧なのです。


現在、当たり前のように使っている言葉も、案外その歴史は浅いということを思い起こさせるのが、熱中症という言葉です。


熱中症の歴史のようなもの>


ただ、もう少し検索してみると、日本気象学会雑誌の「熱中症予防対策の歴史」(2011年)の抄録が公開されていました。

熱中症は古くは坑内労働者などの労働場面と軍隊で発生していた。(中略)1950年代以降は、炭坑等で多発するため、熱中症が用いられている。日光照射がある屋外の労働や軍隊では日射病が用いられた。1926〜1940年代の坑内では気温34℃を上限としているが、1970年以降のグラウンドで観測した温度では、乾球温度33.5℃、湿球温度24.0℃、WBGT27.6℃であり、坑内温度と大差がない。また、対応策も1937年には0.2〜0.3%の食塩水を勧めており、経験的に塩分補給は常識的とされていた。


環境省熱中症はどれくらい起こっているかの中では、「年次別男女別熱中症死亡数」のグラフの中で1968年以降の死亡数が表示されていますから、私が学生の頃にも「熱中症」という言葉はあったということになります。


環境省のそのグラフの説明には、「熱中症による死亡数は、1993年以前は年平均67人ですが、1994年以降は年平均492人に増加しています」とありますから、やはり私が、「熱中症」という言葉と概念を危機感を持って記憶したのは1990年代半ばなのかもしれません。


そして2009年頃には、認知症だった私の父が閉め切った部屋で夏なのに布団をたくさん重ねて熱中症になり救急搬送されたことをこちらの記事に書きました。
避暑地のような地域でも、気温に対する感覚が鈍ってきたり、判断力が衰えてくることで容易に熱中症になることを実感したのでした。


熱中症という言葉は、特殊な職業や環境では使われていたけれども、一般的に使われるようになったのはこの20年ほどのことなのかもしれないと、記憶の中を行き来しながら考えています。




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