客観的のあれこれ 6 失敗から学んだ方が生活の質は良くなる

ときどきうさぎ林檎さんの妖怪アンテナから刺激を受けに、twitterを読ませてもらっています。

最近は高齢者向けの、質・量ともに参考になる丁寧につくられた料理の写真にすごいなあと感心しています。

 

時々、「うさぎ林檎さん節炸裂」を感じるものがあります。先日もこんなtweetが。

個の業績で業界への批判を免責されるとするなら、あの役所の方は「言い訳」なんて言われる以上の実績がある。国のほうが動いている。 

 

わあ、何の話題だろうと気になってちょっとそこから「元」をたどってみたら、なんとHPVワクチンのことでした。

 

20年後30年後には、あの病気で苦しむ女性に出会うことが激減するかもしれなかったすごいワクチンだったのに。

産婦人科で働いていれば明るい前途が見えるようなワクチンだったのに、無念でしかたがないほど複雑な話になってしまったのはなぜだろう、そう思ってニュースを追ってきました。

 

冒頭の話題から、私自身の予防接種についての漠然とした感じ方を、思い返していました。

 

*1980年代から90年代*

 

1980年代の水際での感染予防対策に書いたように、1980年代半ば、インドシナ難民キャンプで予防接種の担当になり、アメリカの予防接種の考え方を知りました。

「疾病を国内に持ち込ませない」そして「国内で広げない」ということに、力を入れていることに。

 

難民キャンプではMMR(麻疹・流行性耳下腺炎・風疹)ワクチンを全ての乳児〜小児に接種していました。

え〜、私が全てかかった病気ではないですか。

何で予防接種なのだろう。看護職といっても小児感染症に疎かった当時は、理解できませんでした。

途上国の母子保健の話題では、DPT(ジフテリア・百日咳・破傷風)・ポリオと並んで重要なワクチンで予防する疾患でしたから、栄養も医療も整った「先進国」では関係のない病気だとおろかにも思っていたのでしょう。

 

それでもかからなくて済むならMMRワクチンはすごいと思って帰国した頃、ちょうど日本でも新三種混合ワクチンが導入され、そしてわずか5年で中止になりました。

難民キャンプでMMRを扱わなければこの話題を意識することはなく、記憶にも残らなかったかもしれません。

 

当時の私の主な情報源は新聞でしたが、ワクチンによる「副作用」(当時は副反応ではなくこちらの言葉が使われていました)の重大さ、その被害にあった方々の状況が伝えられていたと記憶しています。小児感染症の本で読む疾患そのものの怖さよりも、「もし私が注射をしたことで副作用に苦しむ人に遭遇してしまったら」と想像する方が怖いことでした。

 

CDCの予防接種プログラムを知ってから予防接種は社会のなかで大事だと思いつつ、産後のお母さんたちには積極的に予防接種の話をすることはためらわれていました。

 

*2000年代に入って*

 

日本でも2001年に麻疹の大流行があり、妊婦さんや新生児が感染するとどうなるかという怖さを身を以て経験しました。

それがきっかけで、分娩施設や新生児訪問で出会うお母さんたちに予防接種は大事という話を、私自身も再びするようになりました。

 

予防接種を怖がるのは現実の疾患の怖さと副反応の怖さで揺れているからだろうと思っていたのですが、全く違う世界が広がっていることを知ったのが2000年代後半に入ってからでした。

現実的でなくかえって誤った理解を広げてしまう可能性が高いのに、「ワクチンは不要。こうすれば防げる」と対処方法が広がったり、新三種混合の中に書かれている「自閉症と関係がある」といった話がまことしやかに社会に広がると、打ち消すことは大変です。

そして何度でも、忘れた頃に亡霊のように話が蘇りますからね。

 

医療は失敗と向き合い、記録することが90年代から根づきはじめました。

もちろん完璧でもないのですが、少なくともいつも「自分の失敗を認める」ことを試されています。

 

報道関係というのはどうなのだろう。

自分が社会に放った言葉が、どんな影響を与えるのか。

何かを伝えた功績はわかりやすいけれど、10年後20年後に与える不利益まで検証できるシステムがあるのだろうか。

 

それを試された議論だったのではないかと思いました。

そして言葉にはしないけれど、たくさんの人がそれを観察していることでしょう。

 とても良い機会を逸したのかどうか、それがわかるのも20年後とか30年後かもしれませんね。

 

 

 

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