散歩をする 73 <見沼代用水と武蔵水路>

高崎線の車窓に、北鴻巣駅の少し手前に悠々と流れる水路が見えました。
コンクリート製の水路が2列になって、まっすぐに流れています。
Wikipediaで見覚えのある武蔵水路だとピンと来ました。



行田駅について観光案内所でもらった地図を見て、古代蓮の里をみた後には利根大堰まで足を運ぼうと決まりました。
出かける時には、行田市内の古墳や古い街並みを見るのもいいなとなんとなく計画していたのですが、以前から見てみたいと思っていた利根大堰行田市にあり、秩父鉄道武州荒木駅から歩いて行けそうな距離だったので、この機会を逃す手はないと思いました。


利根大堰という名前を知ったのは、1990年代初頭にダムを見て歩いた時でした。
当時の私には、何が問題なのかはよくわかっていなかったのですが、「大型公共事業の一つ」としていつか見にいこうというレベルの話でした。


昨年、見沼代親水公園へ行った時に、その駅名の由来を読んで、見沼代用水(みぬまだいようすい)を知り、そこから利根大堰がつながっていきました。
地図を見ると、利根大堰のところには「水色」の線が並行しています。
武蔵水路Wikipediaの説明の中に、「利根大堰沈砂地で見沼代用水・武蔵水路埼玉用水路が分水」と書かれている写真がありますが、その箇所になります。
その写真を見てから、いつかその場所を見てみたいと気になっていたのでした。


武州荒木駅から歩く>


観光案内所の地図には、見沼代用水に沿ってサイクリングロードが整備されているようなので、用水沿いに歩いて行けそうです。
Macの地図で以前見た航空写真では、周辺が見渡す限り田んぼであまり人家もないように見えたので、一人で歩くには不用心な場所に感じたのですが、サイクリングロードがあるくらいならそれほど寂しい場所ではなさそうです。


古代蓮の里から秩父鉄道行田駅までは、市内の循環バスがありました。バスといっても12人乗りのコミュニティ・バスで、100円という格安運賃でしたが、市内のあちこちを回るので、車で5分ぐらいのところが30分ほどかかって駅に到着しました。
ただ、普通の観光だったら行かないような田んぼの近くをあちこち回ったので、たくさんの用水路を見ることができました


秩父鉄道行田駅から武州荒木駅に行く途中で、武蔵水路と見沼代用水の上を通過します。
滔々と流れる水を見て、その取水口を見にいくことに期待感がふくらみました。


からしばらく歩くと、見沼代用水と武蔵水路が並行している場所に出ます。武蔵水路にはWikipediaの説明に書かれているオレンジ色の球体がぶら下がっていて、水路の流れがとても速いことが見ていてもわかるぐらいでした。見沼代用水も水面は静かなのですが、やはり相当な水量が流れていることがわかり、そのそばを歩いているとちょっと足がすくみそうな恐怖感を感じます。


サイクリングロードでは出会う人は全くいなくて、たまに車道を車が通過していくぐらいでしたから、一人で歩くのは危ないかなとちょっと後悔したのですが、じきに公園と人家が見えたのでやはり目的地までは行こうと気を取り直したのでした。


利根川の堤防と利根大堰が近づき、写真で見たあの取水施設が目の前に広がりました。
轟々と水音が響いています。
これだけの水が埼玉から東京の田畑や飲み水として、各地に広がっていくことに圧倒されます。


多摩川の水を武蔵野台地の上へと引き上げた玉川用水の土木技術も知れば知るほど驚きですが、利根川の地図を見ていても、水色の線は利根川へと流れ込む川だけでなく利根川から取水する用水路を意味しているものもあります。
どうやって、その地形を見極めたのだろう。
そして取水した水を、平野部分から東京湾沿岸へ向けて滞りなく流すことができるのはどうしてだろうと、圧倒されました。


見沼代用水の「設計および測量」には、江戸時代の様子が書かれています。

用水は、利根川から取水されることとなったが、その場所は現在の行田市にあった下中条村の地となった。この付近の利根川の流れは水深が年間を通して安定していた。また享保以前100年間の洪水時でも堤の決壊したことがないなど、好条件が揃った場所であることが理由となった。現在の代用水の取水口も江戸時代とほぼ同地点の利根大堰であり、当時の土木水準の高さをここからも窺い知ることが出来る。

代用水建設のための測量は、利根川からの上流側と見沼溜井から流れ出ていた芝川の下流側からの二手に分かれて進められた。測量は水盛りと呼ばれた水準測量により行われ、30間(約55m)につき3寸(約9cm)の傾斜、すなわち1/600の勾配が付くように正確に進められた利根川側と芝川側からの測量が出会った地点では、わずかに約6cm(2寸)のずれしかなかったと伝わっている。

すごいですね。約55mにつき9cmの傾斜を正確につけていくことを、江戸時代にはすでに行なっていたということですね。


その見沼代用水の取水口から、1960年代には武蔵水路が建設された。
東京砂漠といわれた断水の多かったあの時代とつながったのでした。



百聞は一見にしかずを実感した散歩になりました。




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