散歩をする 77 <モミの木があった>

酷暑の中の散歩のペース配分が、少しわかりました。
駅から徒歩数分以内の場所で森がある場所を訪ねて、歩くのは1〜2km以内ぐらいなら危険ではなさそうです。


そこでバスの車窓から見える、あの場所を訪ねてみようと思い立ちました。
以前、渋谷から新宿まで歩いた時は、途中、山手通りから下った春の小川沿いでしたが、今回はその川を見下ろす尾根側です。


代々木近辺や明治神宮周辺は20代の頃から電車で通過することが多かったので、駅名には馴染みがあります。
参宮橋、代々木公園、表参道、外苑前、明治神宮前、そして比較的新しい駅名は北参道でしょうか。
こうした駅名は、明治神宮と代々木公園を中心につけられて、私の頭の中の地図に記憶されていていました。


ある時、ふだんあまり使わないバスに乗った時に山手通り沿いに深い森があって、急な階段を上ったところに神社があることがわかりました。
代々木八幡宮と書かれているのを見て、初めて「代々木八幡駅」と繋がったのでした。
それまで、「代々木八幡」も明治神宮に関連した地名だと思い込んでいたのです。
あっという間に通過する電車の車窓からは、ほとんど見えない高台の場所にある神社なので、気にもとめていなかったのでした。


バスの車窓から見える代々木八幡宮は、真夏でも涼しそうな鎮守の森が別世界を作っているように見えます。
今回は、代々木八幡宮駅から歩いて見ました。


<「代々、木があった」ではなかった>


地図で見ると代々木八幡駅からわずか2〜3分のところにありますが、実際には、駅を降りると急勾配の坂道をまず登らなければなりません。
それでようやく、山手通りと同じ高さに到達します。
その坂道を登っただけでも、熱中症に対する警告が出されている時期にくる場所ではなかったと、ちょっと反省しました。
でも、そんな暑さの中で駅の改修工事や道路工事をされている方々がいて感謝です。


参道もまた急勾配の石段で、下を見ながら登りました。石段の終わったところからも、まだ坂道が続きます。
それでも森の中なのですっと風が通り抜けていき、幹線道路沿いにあることも忘れるぐらいの静けさでした。


「渋谷の記憶」には、1956年(昭和31年)の代々木八幡宮周辺の写真があります。こんもりとした森の中を山手通りが通っているように見える写真です。
きっと、「代々(だいだい)森があった」から代々木なのだろうとイメージしていました。
明治神宮代々木公園あたりが一世紀前には野原だったのは、代々木練兵場を作るために森林を伐採したのだろうと。


ところが、もう一度「明治神宮の森」を読み直すと、こんな箇所がありました。

 代々木の地は、江戸時代には彦根藩主井伊家の下屋敷があったが、明治17年に御料地となったものである。この代々木御料地は、ほかの候補地に比べれば樹木数は多かったが、敷地の大半は畑地や茶畑、草原、沼地で、林地は全体の5分の1程度しかなかった。

 なお、「代々木」という地名は、この地にあった一本のモミの木に由来するとのことである。この地は、元は不毛の原野であったとのことであるが、代々、一本のモミの木が立っていて、幕末にあった木は、江戸の町の目印になるほどの大木であったという。そして、この代々のモミの木から「代々木」という地名がついたといわれている。


境内から下って、参宮橋駅まで歩きました。
傾斜のある土地を利用して、瀟洒な住宅が続いています。
大きな木が茂った場所もあり、真夏の歩道に木陰ができていました。


江戸時代の住民いえ一世紀前の住民も、現代の風景を見たら、大きな神社や公園、そして街路樹で緑豊かな別世界に驚くことでしょうね。



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