いろいろな意味で層が厚くなったと感じたパンパシ水泳でしたが、もうひとつ印象に残ったのがフィリピン選手の参加でした。
今までも、ジャパンオープンやワールドカップ東京大会でフィリピンの選手が時々参加していましたが、個人種目に出場している2〜3人ぐらいしか記憶にありません。
意外なところですが、マレーシアはこれまでも競泳大会に何人も選手が出場していました。
私自身が東南アジアに暮らしたこともあって、ちょっとその地域に思い入れがあります。
ですから、東南アジアの国から競泳大会に参加しているのを見ると、思わず応援したくなります。
まあ、東南アジアと言っても、一つの国内だけでも多様な文化を擁しているのですが。
Wikipediaのパンパシフィック水泳選手権を見ると、2006年にフィリピンが参加しているようですが、その1回だけでしょうか。
1984年に始まったパンパシ水泳ですが、フィリピンにとって1984年といえばピープル・パワーと呼ばれた草の根運動で独裁政権を倒した年でした。
でもようやく手に入れた自由でも、海外出稼ぎや医師や看護師の海外への流出など、貧困から立ち上がるには混沌とした状況でした。
スペインの植民地からアメリカの植民地になり、そして日本の占領時代から独立をした後も、長い間アメリカの影響を強く受けていた国です。
1980年代に難民キャンプで一緒に働いていたフィリピン人スタッフの中には、「アメリカの州になった方がよい」と本気で言う人もいるくらい、アメリカへ渡って新しい人生を夢見ている人も多かった印象です。
当時、フィリピン国内の人気スポーツといえばバスケットボールとボクシングのようでした。
おそらく、どこでもちょっとした空き地があればできるので、誰にでもできたのでしょう。
フィリピンも海に囲まれた国ですが、泳ぐことを学ぶ機会がないこと、プール建設や維持のためには経済力も必要ですし、やはり競泳大会に参加するには経済力が必要だからフィリピンにはなかなか広まらないのだろうと思っていました。
そのフィリピンにリレーを組むだけの選手層ができて、国として参加していました。
タイムはアメリカ、オーストラリア、カナダ、日本に比べてどの種目も20秒近く遅いのですが、フォームも美しくて、まだまだ伸びしろがあることを感じさせる選手たちでした。
ほとんどの種目で他の選手よりかなり遅れてのゴールでしたが、果敢に挑戦している姿を見て、フィリピンの競泳の歴史を知りたくなりました。
そして、フジヤマのトビウオを生み出した時代はまだ湖や川が練習の場だったことを考えると、競泳も遠くへきたものですね。
競泳に必要なものって何だろう。
ちょっと青臭い疑問ですが、筋肉的キリスト教運動の流れと合わせて考えてしまいました。
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