散歩をする   83 <荒玉水道から南水無へ>

水が溢れる場所から水の無い場所までの散歩コースは、電車の中でiPhoneの地図をなんとなく眺めていて思いついたものでした。


最初に氷川神社が集結している場所が目に入り、砧浄水場が近いので、これは良い機会だからそこまで足を延ばしてみようと思いつきました。
浄水場といえば、そこからまっすぐ北東に伸びる荒玉水道があります。
以前、ときどき砧公園にある50mの長水路プールに泳ぎに行っていたのですが、自転車で環八を走っているときに環八に対して斜めに横切る不思議な道路を発見しました。
ずっとまっすぐで、しかも大きなトラックが侵入できないようになっています。
その下に大きな水道管が通っている水道道路というものがあることを、90年代に初めて知りました。


何度か、荒玉水道を自転車で部分的に走ったことがありますが、その起点が砧浄水場であることなどを、インターネットが使える時代になって少しずつ知識が増えていきました。


そうだ、砧浄水場から荒玉水道を歩いてみようと思いついたのですが、二子玉川から砧浄水場まで歩き、さらに暑い季節なのに環八との交差点まで歩けるかなと思ったら、バス停に気づきました。
クリックすると、環八と荒玉水道がぶつかる近くになんと「水道局前」というバス停があるではないですか。
俄然、やる気が出てきました。
そして、すごいですよね、最近のスマホやパソコンの地図はバス路線まですぐにわかります。
どこまで行くバス路線なのかクリックしたら、「南水無」と行き先が表示されました。


ということで、散歩のテーマが「水の溢れる場所から水のない場所」に決まったのでした。
電車の中でのわずか数分のことでした。


荒玉水道を歩く>


道道路はほぼまっすぐなので、歩いていても飽きてしまうかもしれないというのは杞憂で、よくぞこんな複雑な地形の合間を選んで、まっすぐな道を作り出したと感動しました。


浄水場からしばらくは平坦な道が続きますが、じきにアップダウンのある地形に入って野川を歩いた時に立ち寄った次大夫堀公園の近くに出ます。
野川にかかる橋は「水道橋」と書かれていて、今日の散歩のテーマ通りだと胸が震える感じ。
そしてその水道橋を渡ると、そこからは一気に国分寺崖線へと上り坂になります。
ちょうど反対側から歩いてきた人たちが「丹沢が良く見える」と話していたので、振り返ってみると、遠く丹沢の稜線がきれいに見えていました。それくらい、小高い場所へと水道道路が一気に上がって行くようです。


しばらくすると、砧小学校交差点の5方向から複雑に道が交差する場所を超えて下り坂になり、仙川を超えるとまた一気に上り坂になって武蔵野台地へと荒玉水道が乗るようです。
重力に逆らった方向へと、しかもアップダウンがいくつもある場所を超えて水を送っていることに、改めて驚きました。


そこからは多少のアップダウンはあるものの比較的平坦な道が続き、小田急線の線路を超えて環八にぶつかるところまでただただ歩きました。
以前、自転車で少し走った場所もあるのでだいたいのの距離感もわかりましたから、「あともう少し、頑張れ」と自分に言い聞かせながら「水道局前」のバス停に到着。


久しぶりに汗が滴り落ちるほどの暑さでしたが、ここまで到着すれば、あとは冷房の効いたバスに乗るだけでからね。



<南水無>


「南水無」、どんなところだろう。
停留所の案内で見ると、千歳烏山駅の次にある終点になっています。


バスに乗ってしばらくすると、見覚えのある場所が近づいてきました。
粕谷地蔵尊のあるあたりです。水不足に悩まされた地域と重なり合いました。


終点で降りたのですが、バス停の標識があるだけで、これといった説明書きもありませんでした。
ちょっと拍子抜けして千歳烏山方面へ歩き始めると、じきに遊歩道があり「南水無橋」と書かれた橋の石が残されていました。


帰宅して検索したら、「バス停地名学のすすめ」というブログに「第33回 南水無(みなみみずなし) 前編」という2007年5月1日に書かれた記事を見つけました。
その説明によると「三鷹用水こと水無川の流路跡」だそうで、以下のように説明されていました。

水無川は、目黒川上流に通じる烏山川の支流であり、自然河川の上流部を玉川上水からの分水で
灌漑用に水量を確保していたといわれます。烏山から近い蘆花恒春園で、明治末年から昭和初年までのおよそ20年間を過ごした徳富蘆花は、その著書『みみずのたはこと』(大正2年)で水無川について触れていますが、それによれば、冬になると水が涸れることから水無川の名があるそうです。しかし、当時の地図で水無川上流部を辿っていくと、玉川上水から分水された品川用水が水無川上流部と交錯して降り、このことで上流部の水流が切断されたことが水涸れの原因に関係しているようにも思えます。どちらにしても、水が涸れなかったら水無の地名も起こりえなかったかと思うと、地名の面白さを改めて知ったような気分になります。


電車の中でぼっと地図を眺めて思いついた散歩コースでしたが、荒玉水道武蔵野台地に向けて作った大変さが実感としてわかる散歩になり、そしてまた先人の表現に出会うことができました。




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