気持ちの問題  53 <マウント>

マウントという言葉をよく耳にするようになったのは、いつ頃からでしょうか。
もちろん「Mount. Fuji」のように「山」という意味では子どもの頃から知っていましたし、動物の行動に使う言葉であることも知っていました。


それが人間に使われるようになり始めたのが、いつ頃だったのかはっきりした記憶はありません。
最初の頃は、「動物みたいで嫌な使い方だな」という感想が、最近は動物の生活史を少しずつ知る機会が増えて、「動物みたいなんて、動物に失礼だ。動物以下、いや未満の行動だ」という感じです。


日本語だと、どんな言葉になるのでしょうか。
Wikipediaでは「人間同士の見えの張り合い」と双方の行動のように書かれているのですが、実際には一方的にけしかけられていることを感じることがままあります。
そう、「けしかける」とか「自分の方が上」「強がる」「相手に挑む」あたりでしょうか。
そして、人間の場合、なんのためにそうしているのかよく理解できないという感じ。


<がむしゃらに泳ぐ>


プールの中の境界線で「水泳というのは、かなり全身の感覚を周囲に向けているものだということがわかるようになりました。車の運転に似ているかもしれません」と書きました。
相手の泳ぎを邪魔せずに、安全に追い越したり、渋滞を起こさないようにペース配分をするあたりが運転に似ています。


最近は、怖い煽り運転も話題になっていますが、プールの中でもそういうことが増えてきた印象があります。
もちろん、以前から多少はあったのですが、以前はどちらかというと圧倒的に速い人が遅い人を追い越す際に「煽られたように感じて怖かった」という初心者側の反応が多かったのかもしれません。


ところがこのところ、あまり使いたくない言葉ですがこの「マウントされた」と感じるのは、むしろ中高年層の初心者的な人たちです。
「プールの中の境界線」を書いてわずか数年ですが、またプールの雰囲気が変化してきました。


水しぶきをあげない泳ぎ方は、ゆるゆるとゆっくり泳いでいるように見えるのではないかと思います。
きっと「追い越せる」と思うのでしょう。すぐに後ろからピタッとスタートして、追い越しできるコース側から激しくキックしてがむしゃらに泳ぎ始める人たちが増えてきた印象です。
見ていると、ゆるゆると泳いでいても結構スピードが出ている人には挑んでくるのですが、それよりも速度的には遅いけれどバシャバシャと速そうに見える人には挑まないので、おそらく錯覚があることに気づいていないのだろうと思います。


ほんのちょっとスタートを遅くしてくれたら、「追い越そう」という距離感ではなくなるのですが、「追いついてやる」「追い越してやる」という気持ちが微妙に見えるのですね。
客観的に見れば追い越せない速度なのに、追い越そうという気持ちが前面に出ているので、なんだか煽られた気持ちになることがしばしばあります。


何に挑んでいるのだろう。
なんだか嫌な雰囲気だなと思う場面が増えて、使いたくないけれど「マウント」という言葉を思い出してしまうのです。
でもやっぱり、マウントという言葉も使いたくないですしね。



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