横文字のあれこれ 3 <バースレビュー>

「バースレビュー」、何を意味するのかすぐに答えられるのであれば、相当、「出産」に関心のある方かもしれません。
分娩施設に勤務しているスタッフなら、「積極的に使っている」「意味は知っているが使っていない」「聞いたことがある程度」「知らない」はそれぞれどれくらいの割合でしょうか。


先日、勤務先で「出産後にバースレビューをしたい」という方に初めてお会いしました。
「初めて」と書くぐらいなので、私の周辺のスタッフからはほぼ使われることのない言葉でした。
あ、こう書くと「きっと若い人は使おうと思っているのに、上の世代が阻止する」かのような世代間の相違を妄想されそうですが、私の周辺では20代30代の世代も「意味は知っているが使っていない」という感じです。


<いつ頃から、どのように広がったのか>


バースレビューで検索しても、ネット上に公開されている情報は少ないようです。


1990年代の「昔の産婆さん、助産婦の話」を聞くことが流行った時期に、ナラテイブベースド・メデイシン(narrative-based medicine)という手法を耳にすることになったあたりで、最初は「お産の振り返り」という日本語の方が助産師系の雑誌などで取り上げられていたような記憶があります。


もともと、英語圏で「バースレビュー」の運動が始まり、それが一旦、日本語の「お産の振り返り」に訳されて広まったのでしょうか。
そしてそれが、いつ頃どの時点で「バースレビュー」に置き換えられたのか、案外と、こうした言葉ひとつの広がり方を思い出すのも難しいものです。


いずれにしても、私が「お産の振り返り」とか「バースレビュー」という言葉を目にするようになったきっかけは、助産関係の出版物でした。
大雑把な印象としては2000年代にはちょっともてはやされたけれど、その後は下火になったと、私自身は感じていました。


ところが妊婦さんの方から「お産後にバースレビューをして欲しい」と言われるようになるまでの、10年ほどの時間差はどこから、どのように起きているのだろうと不思議でした。


<言葉にならないものを無理に表現させない>


90年代に「お産の振り返り」という言葉を耳にしたときには、多少、賛同できる部分がありました。
当時、「傾聴する」という表現も医療現場では盛んに使われ始めました。


「無事にお産が終わってよかった」あるいは「赤ちゃんが保育器に入ってしまったけれど、元気になってよかった」「授乳方法が何であれ、赤ちゃんが元気になってよかった」だけではない、産婦さんの納得はまた別であることに少しずつ目を向けられていった時代でした。


「自然な陣痛で産みたかったのに、促進剤を使うことになった」「吸引分娩や帝王切開になってしまった
「母乳だけで育てたかったのに、ミルクを足すことになった」
理想と現実との間の葛藤に、やり場のない気持ちが残り、それがお母さんの喪失体験になる。
だから相手の語りに耳を傾けることが大事。私たちも安易に「無事だったから良かった」で、相手を納得させようとしてはいけない。
そんな時代の流れだったのだと思います。


それは大事な転機だったと思いますが、では実際に、いつ、どのように「振り返るのか」となるととても難しいものです。


産後、ちょっと表情が硬い様子が気になって話しかけたら、あふれるようにそれまでの気持ちを語り始めることもありますし、1ヶ月健診まで穏やかな表情で「問題もなかった」方が、次の出産の時に「あの時は」と話を始めることもあります。
また、そのときには勢いで言葉にしたものの、あとで本人自身がなんども自分の言葉を反芻しながら時間をかけて「本当の気持ちは別のところにあった」と、10年後20年後に気づくこともあることでしょう。


言葉にならないものが言葉になるには時間もかかるし、人それぞれの段階がある。
そして、あえて言葉として表現しないほうが合っていることもあるでしょう。
特に妊娠・出産・育児あたりは本人にもわからない複雑な感情に巻き込まれやすいですからね。


今思い返すと、80年代、90年代そして2000年代ごろは、「私らしい」ものが追求されていた時代だったから、バースプランとかバースレビューといった言葉も受け入れられた時代だったのかもしれません。
最近は、反対に無事に生まれればそれで良いですとおっしゃる方が増えてきました。



探せばバースレビューに関する文献や論文はあるのですが、私にはどうも理論化を急いだ話のひとつに過ぎない、あたりで受け止めている言葉です。




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