散歩をする  174 富岡から原ノ町まで

富岡駅の真新しいバスロータリーには、市内の循環バスと代行バスのバス停がありました。

同じ列車で到着したおばあさんが循環バスに乗りました。どこでどんな暮らしをされているのかな、富岡町はどんなところなのかと循環バスに乗ってみたかったのですが、時間がありません。残念。

 

観光バスが目の前に止まりました。これが原ノ町駅までの代行バスです。

10人ぐらいでしょうか、乗客が乗りました。

発車前に、注意事項のアナウンスがありました。

国道6号線を通過しますが道が悪いのでご注意ください」「帰還困難区域を通過しますから、絶対に窓を開けないでください」「風景の写真は構いませんが、人物がわかるようなことはお控えください」といった内容でした。

 

国道6号線

 

富岡駅を出発して2〜3分で東京電力廃炉資料館のある交差点を曲がり、国道6号線に入りました。

工事関係の車両だけでなく一般車両と思われる車も、想像以上に通行量の多い道でした。

 

富岡川にかかる橋を渡ると、少し離れたところにJRの新しい鉄橋と思われる橋が見えました。来年には再び列車が走ることになる準備が進められているのでしょう。

川を渡ってから数分ぐらいしたあたりからでしょうか、国道の両脇に「帰還困難地域」の表示があちこちに見え始め、バリケードで住宅や道路が封鎖されていました。

 

Wikipedia国道6号線の「原発事故による通行規制」にはこう書かれています。

2011年4月22日から2014年9月14日まで、福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域(事故発生警戒区域)に関連し、福島県双葉郡富岡町本岡字夜の森(富岡消防署北交差点)から双葉郡浪江町高瀬字小高瀬(浪江町双葉町境付近)までの区間が通行不能だった。

実際の通行止め規制は南端と北端の検問所のみであるが、これらに挟まれる区間はすべて帰還困難区域であり、滞在するだけで違法となるため、事実上連続した30km程度の規制となっていた。一時帰宅では自家用車による通行が9月下旬実施分から許可されており、帰宅に使用する自動車であれば決められた方法で通行できた。

 

2012年12月17日からは、避難区域の市町村の職員やインフラの復旧工事に関わる業者など、事前の申請が認められれば、帰還困難区域を通り抜けできる。2013年6月17日からは、避難区域に当たる12市町村の住民でも、通勤・通院などの目的に限って、市町村発行の通行証を持参することを条件にして帰還困難区域内の通行が可能になった。(通行時間は7時から19時までに限られていた。)その後、帰還困難区域内の通行区域内での除染や道路補修などが終了したとして、2014年9月15日からは、自動車に限り、全線での自由通行が可能になった(歩行者・軽車両・原動付自転車、自動二輪車は引き続き規制対象)。ただし、帰還区域内での駐停車(エンスト、パンクなど車両不備、故障の場合はその限りではない)や国道本線を外れた道路・施設への立ち入りは禁止されているほか、窓を閉めてエアコンは内気循環にするよう呼びかけられている。 

 

あの日以来、8年半も時間が止まったように人が住むことがない家やお店、そして田畑がずっと続いています。

 

ただ、乗車時に「絶対に窓を開けないように」という注意でしたが、帰宅困難区域のあちこちで解体や道路工事などに従事する人たちがたくさんいらっしゃって、ふつうの作業着で働いていました。

それだけ時間が経ったのだと、少し安堵したのでした。

 

しばらくすると、福島第一原子力発電所が見えました。

原子力発電所というと刈羽原子力発電所のように、少し小高い場所で遮蔽されたようなイメージがありましたが、平地に近い地形のようです。

 

あと10kmほどで、浪江駅に到着です。

途中で帰還困難区域の表示が終わり、日常の生活がある街の風景になりました。

浪江駅までは仙台から常磐線が再開しているのですが、本数が少ないので代行バスでこのまま原ノ町駅まで行くほうが早いようです。

 

このあたりからはまた小さな川を中心にまちが広がる様子が続きます。

新しい家もある反面、誰も住まなくなった家もあちこちに見られました。

 

原ノ町駅の手前で、馬が三頭見えました。

なんだかその姿にホッとしたのでした。

そうか、「相馬市」だから馬がいるのかと初めてつながりました。

 

 

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