散歩をする 436 阿南から徳島、そして第十堰へ車窓の散歩

やはり阿南市の打樋川沿いは干拓地に違いないと実感しました。

地図からふと探し出せるようになったのもここ数年の時間の積み重ねだと、ちょっと悦に入りながらバス停へ向かいました。

 

阿南駅から少し離れた富岡バス停から7時52分の徳島行きのバスに乗る予定です。

最初はJR牟岐(むぎ)線で徳島まで戻る方法を考えていたのですが、地図を眺めているうちに「富岡・橘線」という海側を走りながら徳島まで行くバス路線を見つけました。

この時にはまだ徳島バスならたぶんICカードが使えるだろうぐらいに思っていたのですが整理券でした。どちらでも良いように小銭は準備しておいて正解でした。

 

阿南市から徳島市へ*

 

通勤時間なので混んでいるかと思ったのですが、乗客は私を含めて二人です。海を見ることができる席に座れますようにと願っていたのですが、あっけなく叶いました。

 

前日、なかちゃん号で通った場所を反対に回るようにバスは進んでいきます。美しい桑野川を渡り、阿南医療センターの敷地に入ると昨日は気づかなかった「阿南医師会中央病院記念碑」と書かれた石碑がありました。この地域のどのような医療の歴史があるのでしょう。

 

なかちゃん号とはルートが違って、県道130号線に入りました。途中、「中原」という場所がありましたが、「原」がついても立派な水田地帯でした。いつ頃水田化されたのでしょうか。

じきに美しい那賀川を渡りました。

この道をまっすぐ行くと前日に歩いた羽ノ浦古庄から羽ノ浦駅にのあたりを通ります。あちこちの水路の存在がすごい街です。

JR羽ノ浦駅のあたりは住宅が多いので集落の中心かと思ったのですが、そこから離れた「本村居内(ほんそんいうち)」に商店街が見えました。そこから先が少し低くなって、海抜2mに中新田という水田地帯が広がっていました。

興味深い地名もたくさんあって、那賀川北岸用水の歴史をもう一度訪ね歩きたいものです。

 

このあたりからぼちぼちと乗客が乗り始めました。みなさん、どこへ行き、どんな生活をされているのでしょうか。

 

その先に、西側の山がぐっと迫った場所が近づいてきました。前日、JR牟岐線で運河のような場所を通過したのですがその阿波赤石駅のあたりです。大きな水門と運河と川があり、西側は水田地帯、海側は工場地帯のようです。

運河を渡ると「金ちゃんヌードル」の工場が見えました。いつどこで知ったのか記憶を手繰り寄せても思い出せないのですが、知っている名前です。

海が見え始め、なんとなく阿南市とも雰囲気が違うと感じたらいつの間にか小松島市に入っていました。子どもの頃から知っている地名で「こまつじま」だと思っていたら、「こまつしま」でした。ほんと、日本語難しい。

 

小松島救急車のあとを追うように、徳島赤十字病院内のバス停に立ち寄りました。白い壁と薄緑色のガラスといったちょっとおしゃれな外観です。「人道」と書かれた石碑が見えました。普遍的な思いはなかなか実現できない現代ですが、百数十年前に概念が言葉になっただけでも進歩なのかもしれません。

 

山と島に挟まれたような平地をバスは進みます。「新開」「中田町内開」といった地名やバス停があるので、この辺りももしかすると干拓の歴史があるのでしょうか。「なかた」かと思ったら「ちゅうでん」と読むようです。

その先を海へとぐいと曲がると、採掘場のように削り取られた場所に墓地が見えました。

お墓をどこに造るか、各地いろいろですね。

 

西側から流れてきた勝浦川の河口に近づく頃、その先に広がる市街地や港湾設備の向こうに大きな橋が見えました。

1年ぐらい前に何気なくつけたテレビで、この橋を架ける最後の段階を放送していました。すごい仕事ですね。吉野川河口を空撮していたこの番組もまた、徳島を訪ねたいという気持ちに火をつけた一つですが、たしか都内のケーブルテレビでの放送でした。「2021年(令和3年)10月8日に主桁が閉合した」吉野川サンライズ大橋のようです。

 

新浜(しんはま)から津田、昭和町と進み、川合を越えて西へと曲がると、落ち着いた色合いの県庁の建物の横を通って徳島城の石垣が見え、9時8分に徳島駅につきました。610円、1時間20分ほどのバスの車窓の散歩でした。

 

徳島駅から第十堰へ*

 

ここから9時20分発の「フジグラン行き」に乗り換えです。

バス乗り場の案内場であらかじめ乗車券を買おうと思ったらここでは高額紙幣の両替のみで、千円札の両替と支払いはバス内でしかできないとのことでした。

まあ郷にいれば郷に従えですからね。目的地の「第十バス停」までは420円、小銭はなんとかなりそうです。

 

徳島駅を出ると国道192号線沿いを西へと進み、川を渡ると佐古一番、佐古二番と、左手は山が迫っているのに海抜2mほどのまっすぐで平らな場所を走りました。

佐古は何番町まであるのだろうと思ったら、どうやら七番までのようです。県立中央病院徳島大学病院前は海抜3mで少し高くなり、その先で右へ曲がり県道1号線を北へ走り、吉野川右岸地域へと進みました。

 

住宅地から「北島田」のあたりでは水田が残る風景になり、田んぼの中にお墓があるのが見えました。

その名も鮎食川という美しい川を渡ると、お寺を中心にした落ち着いた集落があります。

不動支所バス停から西へと向きを変えると吉野川に近い水田地帯が増えました。田んぼの中のお墓も土盛りをした高い場所になっています。

不動回転場バス停で時間調整のために停車していると、どこからか煮魚の美味しそうな匂いがしてきました。お腹がすいてきましたが、今日はどこでどんなご飯を食べることができるのでしょう。魚を食べたいけれど高いですからね。

 

大きなバスが農地や住宅の中の細い道を進んでいきます。この辺りの土は白っぽい土のようです。バス停の前でバスの時刻を紙に書き写している人がいました。なんだか懐かしい風景に感じるほど、あっという間になんでもスマホで検索の時代になりましたね。

 

飯尾川沿いにさらに西へと向きを変えて水田地帯を走ると、ビニールハウスの間にお墓がある地域になって「第十」バス停に到着しました。

誰も乗客の乗っていないバスが西へと見えなくなりました。この先はその名も「藍畑」という地域のようです。

 

バス停から200mほどで、いよいよ吉野川の第十堰です。

4月初旬だというのに初夏のような日差しの中、白っぽい土を踏みしめながら土手へと向かいました。

 

 

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