朝から何も食べていないので、お腹が空きました。和歌浦を眺めながら和歌山駅で買ったおにぎりを食べたかったのですが、バッグに手をかけるだけでどこからかトンビがすぐに頭上を旋回し始めるのが海のそばですね。
空腹のまま疲れた足を引きずるように歩き、14時57分に津屋バス停からバスに乗りました。
しばらくは和歌川沿いに走ります。対岸に大きな工場がずっと続いていますが、川と敷地がほとんど同じ高さで、想像していたような堤防もなくまるで運河のような川の風景でした。
和歌浦東でバスは北西へと向きを変え、15時10分に屋形町バス停で下車しました。
西へと路地を入ると、目の前に和歌山城が見えています。
ここからはその名も堀端通りをお堀沿いに歩きました。
東内堀から北内堀へ、2回直角に曲がりました。悠々と水面が続き、高い石垣が続いて圧倒される美しい堀です。11月初旬、紅葉もまた美しく水面に映っていました。
以前、ブラタモリで和歌山城の回があったのですが、たしか石垣の話と砂丘の話をしていたような記憶が朧げながらあります。その時には「すごい勉強になった」と思うのですが、知識はなかなか身につかないものです。
「東内堀」の説明板では、昭和の初めまでは海とつながっていたことが書かれていました。
内堀と外堀との間が二の丸(現、番丁)で、ここも和歌山城内です。外堀の内側に沿って土塁を築き、斜面には竹、頂部には松を植えていました。現在の岡山丁から住吉橋まであった東外堀(屋形川)は、幅約16~18メートル、全長約970メートルあり、満潮時には十石船の航行が可能でした。しかし、大正5(1916)年、昭和8(1933)年と順次埋め立てられ、最終的には昭和12年に姿を消します。
堀は国道24号線と県道17号線の交差点でなくなり、そこに「吹上口」の説明がありました。
吹上口は和歌山城内郭の北西部入口です。吹上口は紀ノ川河口の紀伊湊に近く、西外堀でつながっていました。また、西外堀には吹上橋が架かっており、人間だけでなく、荷物を運ぶ牛馬も通行しています。物資の搬入口というのが、この場所の主な特徴です。
現在は地面しかない風景で、交通量の多い往来ですが、海とつながっていた風景を想像しながらしばし天守閣を眺めました。
国道沿いに北へ向かい、残っている外堀に沿って歩くことにしました。
「市川堀遊歩道」として水辺まで降りてそばを歩けるようになっています。
不思議と潮の香りもほとんどなく、ドブ臭くもなく、水面を抜ける風が歩いて暑く感じていたのが心地よい水辺でした。
遊歩道が忽然と終わったので道路の高さまで戻り、外堀を追いかけるように歩きました。
小さな工場のような場所に暖簾がかけられ「清酒」の文字が見えたので、惹きつけられるように近づくと、そこは「藩校跡」とともに南方熊楠(みなみかたくまぐす)の実家である南方酒造(現・世界一統)だという説明板がありました。
ますますお腹が空きました。
それにしても地図にはない、さまざまな場所や歴史を知ることができた散歩でした。
本当はもう少し欲張って、和歌山市駅の反対側まで歩いて紀の川の河口付近を眺める予定でしたが力尽きそうになり、16時27分の和歌山行きの列車に乗りました。
紀勢(きせい)本線支線で、紀の川沿いに弧を描くように夕陽の中を走り、一駅で和歌山駅に到着しました。
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