水の神様を訪ねる 35 御嶽神社と「杜の霊神水」

東急池上線の御嶽山駅の近くに、涼しげな鎮守の森が見えます。

4月下旬、急に夏日になりそうな日で、駅に降りて少し歩いただけでふらりとしそうでしたから、引き寄せられるようにその神社を訪ねました。

賑やかな商店街のすぐそばにあります。

 

御嶽神社の由来を読むと、古い神社のようです。

御嶽神社の創祀は嶺村(現嶺町地区)ができた天文4年(1535年)頃と謂われる。当時は小社であり祠に近いものであったと推察されるが、後の天保年間(江戸時代後期)に木曽御岳山で修行をされた一山行者が来社して以来信者が激増し、天保2年(1831年)に現在の大きな社殿を建立し、御霊を遷座した。信者の中には江戸の豪商なども多くあり、かなりの寄進がされたようである。関東一円から木曽御嶽山を進行する信者たちが数多く訪れ、その勢いは江戸、明治、大正、昭和へと続く。(ホームページより)

 

 

*「杜(もり)の霊神水(れいじんすい)」*

 

静かな境内を歩くと、奥まった場所に小さな説明板がありました。

元来ここは一山行者(いっさんぎょうじゃ)が水行をしていたと謂われる古井戸でしたが、長く参拝者から顧みられない状態が続き、年月だけが過ぎて行きました。そこで東京嶺一山講(いっさんこう)・講元(長久保純一氏)を始め氏子総代の協力により、平成二十年七月『杜の霊神水』として新たに甦りました。

神社の杜から生まれ、神社の杜を守る霊神の水。一山霊神の「みたま」の力により、人と自然が一つに流れる場所。それが『杜の霊神水』です。 

 

近代になってこの辺りのような小高い場所にも水道が敷設され、井戸が顧みられることがなくなったのでしょうか。

 

それにしても、一見、深く掘った井戸ではなさそうでしたが、どうやって水をそこに見つけたのでしょう。

武蔵野台地の「東部の舌状台地群と、その上に広がる都市市街」にこんなことが書かれています。

武蔵野台地は、その成因から、水を通さない海成の粘土質層の上に水を通しやすい礫層が互層しており、この層面から地下水が湧き出し、台地状の中小河川の源流となっていることが多い。 台地状にみられる池の多くがこのような成因である。

 

台地の上に湧き出る水は、ほんとうにそこに水の神様がいるように見えたかもしれませんね。

 

1831年に今の社殿になり、1923年(大正12年)には池上電気鉄道御嶽山前駅ができ、その41年後の1964年(昭和39年)には池上線の下を掘り進めて東海道新幹線が造られたのですから、すごい変化ですね。

 

風が涼しく吹き抜ける静かな鎮守の森の中にいると、二世紀ほど時間がたったことを忘れそうです。

そしてここでもまた、平日の日中に、参拝する地元の若い方がいらっしゃいました。

 

 

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