水の神様を訪ねる 54 福岡堰と伊奈神社

福岡堰に立ってしばらく風景を眺めました。

ここから下流は1.5kmほど、小貝川は分流堤で本流と用水路の二つの流れになり、あの水門(みずもん)でさらに二つの用水路になって水田を潤していくようです。

 

どうやってこの場所が堰としてふさわしい地形だとわかったのだろう、どうやって過不足なくそして滞ることなく、水を下流に流す仕組みを作ったのだろう。

そして現在の堰になるまで、どれだけの失敗や困難があったのだろう。

考えれば考えるほど、目の前の歴史に圧倒されます。

 

そこから200mほど上流側に、伊奈神社があります。

一旦、小貝川の堤防の上に出て、神社を目指しました。

堰が造られた場所は、左岸側がほんの少し高く岩か何かがある場所だったらしいことはわかりました。

 

小貝川の流れを見ながら歩くと、またほんの少しだけ高くなった場所に鳥居がありました。

想像していたよりも質素な造りで、「伊奈神社」と彫られた石碑があるだけで説明はありませんでした。

 

つくばみらい市観光協会」に説明があります。

谷原領開発の祖、伊奈半十郎忠治公を祭神として昭和16年に創設された神社です。伊奈忠次・忠治親子は水害の多かった鬼怒川と小貝川を分離させ、谷原領一帯を干拓しました。

寛永元年(一六二四年)から新田開発を行い、「谷原三万石」と言われる美田の開発を完成させました。その新田用水の供給源として山田沼に堰が造られました。

その後、堰は下流の福岡地区に移され福岡堰隣、現在もつくばみらい市の農業に重要な役割を果たしています。

 

1923年(大正12年)に鉄筋コンクリートに改築し、それからまた十数年たった時期のようです。

この神社を造ろうという雰囲気はどんな感じだったのでしょうか。

 

 

境内に参拝するために入った時には気づかなかったのですが、振り向いたところ、神社と参道はまるで福岡堰をながめるかのような角度に建っていました。

 

 

 

「水の神様を訪ねる」まとめはこちら