水の神様を訪ねる 61 安倍山の麓の水神社

今回の散歩の出発直前になって変更した計画で訪ねた西水町と東水町は、分水嶺になりそうな起伏が感じられる地形でした。

東水町から周防灘へと流れる小さな川を地図で追っている時に、安倍山の麓にその名も「水神社」がありました。

西水町と東水町の境界のあたりから数百メートルほどですから、訪ねてみることにしました。

 

国道10号線と県道264号線の三叉路を渡り、安部山の方へと向かいました。

遠目から見ると安部山の下三分の一ぐらいまで住宅地として開発されているようで、水神社はその途中のようです。地図でイメージしていた「麓にある神社」というよりは、ちょっとしたハイキングになりそうでした。

 

静かな住宅地に入ると少しずつ上り坂になり、幼稚園がありました。その先が神社のようです。

安部山の森を背に建てられた美しいお社で、鳥居の前には大きな石柱に「水神社」とだけ書かれていて、境内の右手から小さな水の流れがありました。

 

 

御由緒がありました。

水神社略縁起並びに当霊池の由来

 

祭神 水波能女神

人皇四十八代称徳天皇(女帝)の御代(今より約千二百余年前)和気清麿卿宇佐八幡宮に勅使として参向、神勅をそのままに奏せしため弓削道鏡の怒にふれ足の筋をたたれ大隅の国に流刑に処せられし時卿の御船途中神明の御加護にや豊前宇佐郡長州楉田村に着く。池に跪き相馴れしこと養ひ畜るものの如く清麿御大に喜び、此の鹿に乗りて宇佐宮に再び詣り給い神前にひれ伏し切に己が罪なきことを祈り給ば八幡宮大神告げ給うに、是れより北西に規炬郡北和山(今の足立山)の麓に温泉あり汝これに浴せよと清麿卿感激、肝に銘じ、神託に従つて急ぎ来り温泉に浴しぬれば数日ならずして両足元の如くに立ちぬ。因つてその山の名を足立山と云う。其の後の温泉涸れぬと依つて其の所を湯川と(湯乾のなまりたるもの)、又この少し東に小川あり現今もおつげ川と云う(神託川のなまりたるもの)。其の湧き出る池(初めは湯)を称美し給い一生水と名づけ給い其のほとりに水の大元の神、水波能女神を祠り給う是れ当神社の創始なり。

 

地図で確認すると、足立山はここよりももっと北側のようです。三叉路のあたりが湯川という地名でした。

 

山から湧き出て近隣の田畑を潤す泉のために水神社が建てられたのかと想像していたら、全く違いました。

神勅をそのまま告げたら怒りに触れて足の筋を絶たれ、お告げの通りに訪ねた温泉でその傷が癒えたという話のようです。

怖い話ですが、現代もまたどこでも起きていそうですね。

 

境内の東側に、柵に囲まれた小さな水溜まりのような場所がありました。そこから水が湧いて先ほどの小さな流れになっていてました。水路は樹木に囲まれ、草花がよく手入れされているのがわかります。木陰のベンチに座って一休み。

こういうのを「極楽、極楽」というのかなと思いながら、しばしその美しい水路を眺めました。

 

流れのそばに「湯川一升水池水利組合」の石碑があり、住民の手によって守られていることが記されていました。

 

 

 

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