1世紀ほど前に人類の為にと志た青山士(あきら)氏ですが、その当時はどのような風が世界に吹いていたのだろうと気になって時々考えています。
「人類の為に」、それまでの小さな社会から、ヒトが「人類」という共通の世界に生きていることに気づいたことは、本当にすごい変化だったと思います。
その概念が根付かなければ、社会階層を越えることもできず、児童の権利とか児童福祉法、そして母子保健法は広がらなかったかもしれませんね。
19世紀から20世紀にかけて「われわれは人類である」と気づいたことが、その後の驚異的に変化する時代の基礎になったのかもしれないと、つくづく思うこの頃です。
*時代が揺り戻される*
ところが、戦争の始まり方さえ古臭いと思うようなことが増えました。
それぞれの仕事の実際を理解してもいないのに、専門性が高くないと他の職業を見下し、また新たな社会階層を作ろうとする人がいることも古臭さいと感じることのひとつです。
「底辺職」とその特徴が書かれていました。
12種類の職業を平均年収とともに紹介しており、各職業が底辺職扱いされる理由について述べつつ、「社会にとって必要な仕事」「必須の職業」などと擁護した。ランキングは上から「土木・建設作業員」「警備スタッフ」「工場作業員」「倉庫作業員」「コンビニ店員」「清掃スタッフ」「トラック運転手」「ゴミ収集スタッフ」「飲食店スタッフ」「介護士」「保育士」「コールセンタースタッフ」だった。
底辺職の特徴について、(1)肉体労働である、(2)誰でもできる仕事である、(3)同じことの繰り返しであることが多いーと説明しており、デメリットについては、(1)平均収入が低い、(2)結婚の時に苦労する(3)体力を消耗する・・・を挙げた。
「就活情報サイト「底辺の職業ランキング」に批判殺到 12の職を羅列・・・運営会社は削除し「事実関係を確認する」」(JCASTニュース、2022年6月29日)より
30年ぐらい前から「ガテン系」としてこうした仕事を持ち上げ、「自由な働きかた」とか非正規雇用を持ち上げてきたことが、こうした仕事の「専門性を言語化し、労働条件を改善する」ことを妨げてきたのではないかと思うのですけれど。
「一般的に底辺職と言われている仕事は、社会を下から支えている仕事です。そのような方がいるからこそ、今の自分があるのだということには気づきましょう」と書かれている。
(同記事、強調は引用者による)
ああ、やっぱり。
1980年代ごろからの自己愛に向かう社会に育ち、学びとか気づきといった言葉を使ってふわ〜っと生きている。そんな人が想像した仕事なのでしょう。
社会を構成する仕事の多くは肉体労働であり、一見同じようなことを繰り返す必要があり、適切なオリエンテーションを受ければ新人から達人まで、経験を積みながらその仕事の専門を深めていく。
それが理解できずに、「底辺職」なんて造語を作り出すのは古臭い感覚だなあと感じたのでした。
この30年ほどが「仕事」に関してもちょっと変な方向へと行ってしまった時代で、その揺り戻しがきているからこそ、古臭いと感じたのでしょうね。
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