水のあれこれ 247  西水町と東水町

JR日豊線小倉駅を出るとすぐに紫川を渡り、弧を描くようにその左岸側を走ったあともう一度紫川を渡り、山の方へと近づいたところにある城野駅で下車しました。

8分ほどでしたが車窓から見える小倉の中心部は美しく整備されて、ビルと住宅街がほどよく棲み分けられている印象でした。何よりも、子どもの頃の北九州工業地帯の公害のひどい場所というイメージが幻のようでした。

 

今回の散歩の最後は門司港のあたりを歩く予定でしたが、出発する直前に小倉をニュースで耳にしたことで変更しました。

旦過市場」「新旦過横丁」、どのあたりだろうと地図を眺めると細い川の両側に商店街や飲食店が連なった場所でした。

マップでは名前も表示されないほどの小さい川ですが、そこから北西に250メートルほど下流で紫川に合流し、その対岸が小倉城です。

 

もしかしたら何世紀も城への輸送に利用された運河だったのかもしれないとWikipedia旦過市場を読みました。

ちなみに旦過とは修行僧の雲水が宿泊する場所で、東曲輪の町屋敷と小笠原家ゆかりの宗玄寺や開善寺などとを結ぶ橋がかけられ、城下町の南玄関の香春口に通じる。

大正時代のはじめ、隣接する神嶽川から魚の荷上げ場として成立し、その後、田川・中津方面からの野菜の集積地となったことで市場としての機能が形成された。

予想とは違いました。

歴史を推測するのは難しいですね。

 

 

*西水町と東水町*

 

出発直前の火災のニュースで、その水路のような場所が気になりました。ずっとたどっていくと、城野駅の南東数百メートルのところで小さな二つの流れが合流して旦過市場まで流れていて、その二つの流れの水源はやはり城野駅の近く、国道10号線のあたりのようです。

 

神嶽川(かんたけがわ)の流れの始まりを見てみたいと地図を眺めていると、西水町と東水町という地名がありました。「水」とつく地名には反応しますからね。

なぜ「西水」と「東水」なのだろうと地図を眺めているうちに、ここが分水嶺のように見えてきました。

西水町のあたりから水色の線は北の関門海峡方面へ、東水町からは南東の周防灘方面へと流れているようです。

 

ここを実際に歩いてみることにしました。

 

*神嶽川の始まりと西水町、東水町*

 

城野駅を出て国道10号線沿いに歩くと、神嶽川の左側からの小さな流れの始まりがスーパーの横にありました。コンクリートの中の小さな流れで「排水路」かと思うような様相です。

しばらく歩くと、自動車学校の横に同じようなコンクリート張りの水路がありました。

 

小倉の中心部からはそれほど高低差を感じなかったのですが、右手は安部山がぐいと近づいています。大雨が降ると小さな流れは姿を変えて、ここから紫川の河口付近まで溢れていくのかもしれません。

旦過市場も「2009年7月の中国・九州北部豪雨、および2010年7月の豪雨では浸水の被害に見舞われた」と書かれています。

 

その神嶽川の右側の小さな流れの始まる場所の国道10号線の反対側に、西水町があります。

JR日豊線の線路を渡ると、右手が小高い場所でゆっくりと西水町へと上り坂になっていました。

 

その先に住宅街が広がり、三方へと道が分かれています。その一角に石碑がありました。

なんと記されているのか読めなかったのですが、上部に水と書かれているようにも読めます。

その横に「東水町・町内会住居案内図」があり、ここが西水町と東水町の境のようです。

そしてその間に「水町公園」「水町集会場」がありました。

どんな水の歴史がある街なのでしょう。

 

先ほどの小高い場所の麓から二ヶ所ほど水源があり、ここから南へと流れているようでした。

地図にはない水路が住宅のそばを流れ、小さな畑もありました。

 

歩いているだけでは高低差がよくわからないのですが、やはり分水嶺のような場所で、ここからの流れは周防灘へと流れているらしいことがわかりました。

 

 

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