散歩をする 387 立会道路から立会川河口へ

大井の原の水神池を訪ねたあとは、いつかたどってみようと計画ノートにあったもうひとつのルートを歩くことにしました。

 

大井町駅の南にある東京品川病院の近くから忽然と始まる立会川がどんなところなのか気になっていました。

地図で暗渠らしい場所を探すと、大井町駅の西側に「立会道路」を見つけました。立会道路は西へと続き、国道1号線を越えたところで東急大井町線荏原町駅の前までが遊歩道になって続いています。

 

もしかするととWikipediaの立会川を読むと、やはり暗渠部分のようです。

東京都目黒区にある碑文谷池と清水池に源を発し、南東方向へ流れる。品川区の西小山駅荏原町駅西大井駅大井町駅立会川駅付近を通り東京湾勝島運河に注ぐ。

Wikipedia「立会川」「地理」)

 

散歩の記録には残していなかったのですが、清水池のそばを歩いたことがあります。たぶん目黒川のそばを歩き始めた2017年ごろで、水田のための池が都会の住宅地の中に残っていたことに驚いた記憶があります。

 

今回は、西大井駅の近くから歩いてみることにしました。

原の水神池から北へと歩き、品川翔英中学校・高等学校の間の道を抜けて立会道路に出ました。

車道と両側の歩道と、ひと目見て昔は川だったとわかるような雰囲気です。なぜそう感じるのか言葉でうまく表現できないのですが、暗渠の雰囲気は独特ですね。

 

炎天下、緩やかに蛇行する立会道路を道なりに歩きました。空をひっきりなしに、羽田を離発着する飛行機が通過していきます。新幹線を見るよりも頻度が高く、数分で数機の胴体を下から眺めました。

途中で銭湯はどこかと道を尋ねられました。地元の人のような顔で歩いていたのかもしれません。

銭湯が残っていることも驚きましたが、この立会道路沿いはまだまだそういう雰囲気が残る住宅街でした。

 

大井町駅の方向へと緩やかな下り坂が続き、周囲にビルが増えてきました。

地価が高そうな場所でも途中に微妙に空き地があって木が植えられているのは、もしかすると「元は川だった」からかもしれませんね。

大井町線とJR線が交差するあたりで立会道路はどこだかわからなくなりました。

 

*遊歩道から河口へ*

 

JRの線路を渡り、横丁のような雰囲気の場所を通ると都道421号線を渡りました。この道路はちょっと中途半端に大きい道路という感じで、地図で確認すると池上通りの一部のようで、拡幅工事の途中なのかもしれません。

言葉は悪いのですが生活道路をぶった斬って通っているという感じなので、JRの線路に沿ってあるはずの立会川の暗渠部分へ向かうのにもどこを歩いているのか一瞬わからなくなる感じでした。

 

地図で見るとその東京品川病院の東側にある遊歩道へと行くのはそんなに複雑な道順ではないのになんだか方向感覚がおかしくなりながら、病院の敷地と住宅の間を目指しました。

これもまたひと目で昔は川で、すぐそのそばに今は住宅が並んでいる場所とわかりました。

 

公園も古いながらに手入れされていて、街路樹が美しいレンガ風の歩道が続いていました。

説明板がありました。

旧・薩摩鹿児島藩島津家抱屋敷(かかえやしき)跡

 東大井6丁目

 

 この付近より東海道線を越えた地域を含む広大な地は、鹿児島藩島津家の抱屋敷(万知2年(1658)買得)および抱地(かかえち)(天保3年(1832)取得)であった。敷地は約1万8千坪に及ぶ。安政3年(1856)当時、藩主島津斉彬(なりあきら)の父で前藩主の斉興(なりおき、松平大隅守)がこの抱屋敷で隠居生活を送っていたため、絵図状では「松平大隅守」と表記されている場合がある。

 慶応年間になり、大井村の平林九兵衛(ひらばやしくへえ)が島津家よりこの地を譲り受け、開墾して耕地にしたと伝えられている。

 安政2年(1855)頃の薩摩藩主島津薩摩守斉彬は77万8百石の家禄があり、上屋敷は幸橋御門内(現・千代田区内幸町)にあった。

 

説明板の中の地図ではこの公園は「関ヶ原公園」で、遊歩道が「立会道路」になっていました。

 

緩やかな下りを道なりに歩くと、開渠の始まりらしい場所がありました。

ここからは立会川に沿って歩きます。

両岸とも水色の柵に囲まれたコンクリート張りの水路にわずかの水が流れています。

水はきれいなので水源からの水がそのまま流れているのかと思ったら、品川区の説明板がありました。

 品川区では立会川の環境改善を目指し、JR導水や高濃度酸素溶解水の供給による水質浄化対策を行なっています。

JR導水(平成14年度から放流開始)

 JR東京駅周辺の総武トンネルより湧き出る地下水を立会川の月見橋に導水し、立会川の浄化を図ります。大雨等の非常時には放流を中止します。

 

このあたりまでが東京駅のあたりの湧水を導水している区間で、ここから勝島運河への河口あたりまでが「海水が停滞する区間に新たな水を導入し、水質の浄化をはかります」として平成20年度から高濃度酸素溶解水の供給が行われていることが書かれていました。

 

川がきれいになり始めた頃からのさまざまな試みが今も行われているのですね。

 

次第に水量が増えていく立会川のそばを歩くと、お店から煮魚の良い香りがしてきました。お豆腐屋さんも健在のようです。

第一京浜を渡り商店街を抜けて旧東海道を渡ると、運河に近づいて排水機場でしょうか大きな建物がありました。

浜川砲台の近くに、「1982年3月 立会川防潮堤建設工事(その2) 延長36.500m 東京都」と石に掘りまれた記念碑がありました。

 

その堤防の上にのぼり、運河を眺めてから京急立会川駅に戻り家路につきました。

羽田空港から来た列車と京急品川駅は、キャリーバックを持った姿の人で混雑していました。

 

東京湾へと流れ込む無数の小さな流れを川にして、複雑に巨大に発展する都市部と沿岸部の安全な生活と水質を守るための試行錯誤の一世紀を行きつ戻りつ考える散歩でした。

 

 

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