7月中旬の散歩の記録がまだだったことにも気づきました。
線状降水帯に逆行しながらの九州の散歩から戻ったときには、東京都の感染者数が1日2万人から3万人に増えて第7波が確実になりました。
しばらくは遠出は無理そうです。
2年半前の「感染者数増加」とはまた意味が違って感染対策をしながらの旅行もだいぶコツがつかめてきたのですが、家庭内感染が増えたのでスタッフが急に欠勤して勤務交代の可能性に備える必要が出てきました。どんどんと状況は変化していきます。
他の国が正確な統計を取らなくなったのに対して、日本ではまだ感染者の全体を把握して報告されていたので先を読みやすいのは助かりました。
それぞれの国の事情がありますからね。
しばらくは新幹線にも乗れないとなると、ますます見たくなります。
そうだ西大井に行こうと思い立ちました。昨年4月に御嶽山駅から西大井駅まで新幹線の線路沿いに歩いた頃に、西大井駅の南に「原の水神池」があるのに気づきました。
*「農耕や日常生活に欠かすことのできない水」*
お昼頃に家を出て西大井駅で降りました。1986年に開業した駅なので、ロータリーのそばはやはり新しい街という雰囲気が残っています。
駅前から南へ少し歩いたところの大きな通りは「光学通り」で、ニコンの会社があるからでしょうか。信号を待つ間にも新幹線が通過して行きます。
その通りから南東へと緩やかに蛇行しながら続く道が「滝王子通り」で、旧道のような雰囲気ですがその先に滝王子神社があります。
駅から数分、郵便局の前の路地を南へと進むと先の方が少し下り坂になり、小さな森が見えました。
目指す池がそこにありそうです。
住宅地の中の一段低い場所に柵に囲まれた池があり、公園では夏休みの子どもたちが遊んでいました。
深緑色に見える池が柵の中にあり、その東側の石段を上ると小さな祠がありました。
品川区指定史跡
大井・原の水神池(はらのすいじんいけ)
所在 西大井三丁目一番
指定 昭和五十七年二月十日
武蔵野台地の末端部に位置するこの湧水池は、むかし原・出石(いずるいし)などの農家が、出荷する野菜を洗った「洗い場」であった所で、現在も水が沸き続けている。
水神社は、農耕や日常生活に欠かすことのできない水を確保し続けたいという願いから、地元の人々が祠(まつ)ったものである。
清く澄んだこの池の水は、眼病を治すのに効果があるといわれ、治るとそのお礼に鯉を放ったという。
「洗い場」は、都市化とともに姿を消してしまったが、この水神社により、農村だった頃の生活や民間信仰の一面を知ることができる。
平成四年十一月一日 品川区教育委員会
1982年(昭和57年)に指定された当時は、どんな風景だったのでしょう。
駅が開業する前であれば、もしかするとこの辺りには少し畑も残っていたかもしれませんね。
どれくらいの規模の集落が、この水を頼って生活していたのでしょう。ぎっしりと隙間もないくらいに住宅に囲まれた現在では想像もつきません。
この池からの水はどこへと流れていったのでしょうか。公園の端から付近の住宅街の間を通る細い道がどうやらその跡のように見えましたが、その先はもう分かりませんでした。
今も湧いている水は、地下を通ってどのように東京湾へと流れているのでしょう。
新幹線の高架橋からわずか南へ200mほどのところにあるこの湧水と水神様ですが、次に乗ったらその場所を確認しようと思いつついまだに新幹線の車窓からは見過ごしてしまうのでした。
「水の神様を訪ねる」まとめはこちら。