米のあれこれ 57 吉野川分水西部幹線水路が潤す田んぼを歩く

大淀町」から分娩施設の歴史に思いを馳せていたので、少し寄り道をしました。

 

今回の散歩の目的地のひとつである念願の吉野分水下渕頭首工を見ることができました。

 

昨年11月に吉野川分水が大和平野の東側を潤すあたりを歩いたので、今回は西部幹線水路沿いをぜひみてみたいと思ったものの、導水管などで地下を通す区間が多いので地図の水色の線を探しただけではどのあたりなのか皆目見当がつきません。

 

検索しているうちに見つけた「香芝市に湧き出る泉と地下を流れる水路」に、西部幹線水路から葛城市当麻(たいま)のあたりで馬見サイホンが分かれて地下を通り、香芝市別所に円筒分水工があることが書かれていました。歩き方の地図も載っています。ここを歩いてみようと決まりました。

 

当麻寺駅から馬見サイホン入り口へ*

 

下市口駅から近鉄線で橿原神宮方面へと戻り、当麻寺駅で下車しました。下車して初めて「たいまでら」と読むことを知ったくらい、このあたりのことは未知の世界です。

山裾にある当麻寺に向かって古い街並みが残る参道が続いていました。

途中、平田春日神社の鳥居があり、その向こうに水田地帯が広がる風景にふと足が止まりました。「平田」、おそらくこの水田地帯のことですね。

鳥居の近くにタチツボスミレが咲いていて、なんだか元気が出ました。

 

途中、家の間を流れる小さな水路を越えましたが、地図でたどると山側の溜池からのようです。

 

当麻寺は有名なお寺のようで、参拝客がけっこう境内へと入っていきます。

私はその手前の道を右に曲がり、参拝の流れと離れました。山裾に沿って住宅の間の坂道を上るとふと目の前が開け、大和平野が一望できました。盆地というのは周囲の山側からのどこからでも見えるのがダイナミックですね。

 

さらに土塀の家と畑と静かな集落の間の坂道を上ると、一段高い場所にあるゆうあいステーションに出ました。ここに吉野川からの導水路が開渠になって、その先の幹線水路と馬見サイホンに分かれる場所があるはずです。

近所の家の屋根が下に見えるくらいの斜面に水路があり、二手に分かれてすぐに暗渠になっています。盆地側へと分かれた水路がこの先の水田地帯の地下を通り、サイホンの原理で円筒分水工へと流れるそうです。

 

のぞき込んでみましたが水が流れていませんでした。もう少しすると、田んぼに水を行き渡らせるために全く違う風景になるのでしょうか。

 

*水田地帯を溜池と水路をたどって近鉄五位堂駅へ*

 

ここからは西部幹線水路から離れて、水田地帯を歩いて香芝市別所にある円筒分水工を目指しました。直線距離だと3kmほどですが溜池や周濠に立ち寄るので5kmぐらいになるかもしれません。二月堂のお水取りが終わる直前だというのに日差しはすでに夏のようで、熱中症になりそうなお天気です。

 

ゆうあいステーションから下り坂を降りて、緩やかに棚田になっている水田地帯を歩きました。集落の中を歩いていると、ふと祖父母の家に来たような錯覚におちいる道でした。

 

国道168号線を越え、近鉄南大阪線の線路を越えると平な水田地帯です。ここから北へと曲がり、大きな溜池を目指しました。地図に「千股池から望む二子山」とあった通り、溜池の向こうに二子山が見える静かで悠々とした場所でした。

てっきりベンチでもあるかと思ったのですが周囲は農道とトラックが行き交う道だけでした。1万5千歩ほどですが、暑さと歩き続けたことで腰が砕けそうになり始めました。

 

土地勘も全くない場所ですから、GPSで地図を確認しながら歩き続けました。国道168号線を越えたところで一段高い場所にある香芝市立三和小学校と東側の小さな丘の間の暗渠のような道を歩くと、突如としてまたいにしえの街の雰囲気が残る場所になりました。

 

そこから数百メートルほど北東にある、狐井城山古墳も周濠があるので立ち寄る計画にしていました。

緩やかに坂道を上るとこんもりとした森が見え、その周囲を池が囲んでいます。近くに水田があるはずと想像した通り、道の反対側が少し低くなって現役の水田がありました。

周濠という言葉を知ったことで見えてきた風景です。

案内板によると「五世紀末〜六世紀前半ごろに築造された」とのこと。

 

沈丁花やコブシの花が咲き、ウグイスの鳴き声が聞こえ、水田があります。足腰が疲労で限界になりそうだったのがこの水田でまた元気が出ました。

 

今度は東側へと緩やかに下ると、広い水田地帯が広がってまっすぐな道が続き、水路が北へと続いています。地図でたどると、真っ直ぐ北へと水色の線があの王寺駅の南側へと流れ、大和川へと合流しています。

これもまた西部幹線水路から分水されているのでしょうか。ちょっと歩いただけでは、農業用水がどのように流れているのかを把握することなんてできないですね。

 

JR和歌山線の線路を越えもう少しで近鉄大阪線五位堂駅というあたりで、足の限界が来たのでアパートの敷地で腰掛けさせてもらいました。この辺りは水田地帯が住宅地になったようです。

 

 

この日歩いた場所の田んぼはいつ頃から造られ、どのように水を得ながら稲を育ててきたのでしょう。

 

ちなみに冒頭のサイトによると、現在は「ヒノヒカリ」が栽培されているそうです。

四方を山に囲まれた大和平野は昼夜の温度差が大きい盆地特有の気候。

そこで「ヒノヒカリ」が栽培できるのも、吉野川分水のおかげですね。また農業用水だけでなく、生活用水としても奈良に住む人たちの暮らしを支えています。

(「Cassiva」より)

 

 

 

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