今回もまだ記録していなかった散歩です。
8月下旬にかねてから訪ねてみたいと思っていた見沼通船堀公園へ行きました。
地図の水色の場所を探しているのは30年ほど前からの玉川上水への関心がきっかけだったのですが、実際にあちこちを歩き始めたのはほんのこの数年のことです。
地図を眺めていてたまたま目に入った見沼代親水公園を訪ねたときに、初めて見沼代用水と見沼溜井について知りました。その時にWikipediaで読んだ中に「見沼通船堀」の写真があり、説明を読むと「西縁」「東縁」「八丁堤」とか書かれていてもちんぷんかんぷんでしたがなぜか印象に残っていました。
その後、見沼代用水と見沼溜井の痕跡を訪ねたくなり、現在の取水口である利根大堰や見沼代用水が西縁と東縁に分かれる「瓦葺掛樋跡」などぼちぼちと歩いていますが、今もまだWikipediaの説明を読み返してもその全体像がつかめきれていないほど広大な地域へと水を運んできた長く複雑な歴史です。
何度か読み返したり地図を眺めているうちに、あの見沼通船堀というのは西縁と東縁を結ぶ水路であったことがようやくわかりました。説明文にはそう書かれているのですが、実際に理解できるというのは全く別の次元ですね。
JR武蔵野線の北東に大きな溜池が地図にあり、蓮見新田、下山口新田という地名が書かれていて、線路の南側には見沼代用水西縁、芝川、東縁を結ぶ細い水色の線があり見沼通船堀公園があります。
水田地帯を運河のように水路が東西へと結ばれていたということが、ようやく想像できるようになりました。
では、水田地帯へと干拓する以前の見沼溜井の時代には南端に八丁堤があったようですが、それはどの辺でしょうか。
地図を眺めたり見沼代用水について書かれたものを読んでもよくわかりません。
ほんとうに知識の地図が正確になるためには時間がかかりますね。
とりあえず歩いてみれば何かもう少し見えてくるかもしれない。
蒸し暑い雨上がりの8月下旬に出かけてみました。
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