水の神様を訪ねる 99 大井川流域一円の守護の神

地図の水路をたどって見つけた大井神社ですが、地図ではその近くから取水しているように見えるのですが大きな堰らしいものはなさそうです。

 

大井川左岸河口までの水田地帯を訪ね、JR藤枝駅から島田駅にむかいました。

島田駅から向谷(むくや)の大井神社までは約3.3kmですが、上り坂なのでどこまで歩けるでしょうか。

その前に駅の近くに本社のようなもう一つの大井神社があるので、そちらも訪ねてみました。

境内に沿って水路が流れています。境内にも水路と池があり、なんとも美しい鎮守の森です。

 

大井神社の御神徳と清め祓いの神井戸

 大井神社は、大井川の源より駿遠の平野に及ぶ間、六十数社を数え、大井川流域一円の守護の神。

 国魂と仰がれる水土をつかさどり給う大神をまつる神社である。

 いつきまつる大井川大神は、古来生命、生産の守護神として崇敬されただけでなく、殊に穢を祓い、災を退ける清めの神、又、火気鎮護の神として尊ばれ、又、女神三神から安産の神として広く信仰されている。

 この井戸は、古来すべての神事に用いられ、その水の霊力をもって湯立の行事等、穢をはらう神聖な井戸として尊ばれてきたものである。

 この神祠は清め祓いの神をまつる。本社参拝に際し、この神前に詣でて心身の穢を祓い清める。

 

現在の大井川の堤防からは2kmぐらい内陸にあるのですが、玉垣の近くに小さな説明がありました。

土手(堤)石垣

江戸時代大井川の川越稼業の人達が、毎日の業を終えて帰る際に河原から石一つ選び持ち帰り、それを蓄積してこの土手(堤)石垣を築いたものである

 

「越すに越されぬ大井川」のかつての流れはこのあたりまで到達することもあったのでしょうか。

 

 

*向谷の大井神社へ*

 

境内を出て、水路ぞいにしばらく歩くと暗渠になり、そこからは住宅地の中の坂道をゆったりと上っていきました。

 

地図では水路が描かれていない道でしたが、若松町のあたりで期せずして開渠があり「前用水路」と名前があることがわかりました。

水面を眺めていると元気になりますね。ところどころ分水路や水路内が二列になっている場所などがありましたが、道のそばには現役の田んぼはなさそうでした。

 

上り坂を進むにつれて少しずつ水路の幅が広くなり、水量もかなりある流れです。どこからか沈丁花の香りがする中、大井川からの水を眺めながら歩くと分水路のそばに薬師如来がありました。

分水路の上流側はますます幅が広くなり、水量も多い人喰い川の様相になってきました。

ここから下流のどれくらいの地域を潤すのでしょう。

 

13時、すでに15000歩近く歩きお腹も空いてきたところに、ちょうどお店がありました。大好きな親子丼と麺のセットが美味しそうな、昔ながらのお店です。

大正解でした。この辺りは関東風でしょうか、そして親子丼に筍と椎茸と蒲鉾が入っていて、ああこんな組み合わせも美味しいものだと満足してまた歩き始めました。

 

製茶工場が突如としてあるのが静岡県ならではですね。

 

国道1号線の高架橋の下にまた分水路がありました。先ほどまでの人喰い川のような流れがもう一本分かれています。

その先に小高い場所が見えてきました。そこが大井神社のようです。

 

よく見ると暗渠が参道で、暗渠は小高い場所の手前を曲がって大井川の方へと向かっているようです。

そして今までの水路はまっすぐもう少し上流の河川敷の方からきていますが、その両側が切り通しなので、暗渠の蛇行した水路の方が元の水路だったのかもしれません。

複雑な水路ですね。

その参道の暗渠と水路の間には小さなポンプ施設があり、「向谷分水工」と表示がありました。

近くのお店に「水門酒場」と書かれていました。

 

石段を昇ると大井川と対岸が見渡せるような高台で、古い社殿がひっそりと建っています。

現代の水神様は、川を守り、複雑な水路や水利施設も守っていらっしゃるようです。

 

石段を降りて、取水口はどうなっているのだろうと水路沿いに歩いてみましたが忽然と水路は消えて、何がどうなっているのかわかりませんでした。

 

 

ところで、「大井川の源より駿遠の平野に及ぶ間、六十数社を数え、大井川流域一円の守護の神」はどこにあるのでしょう。

また無謀な計画に心が惹かれてしまいました。困りましたね。

 

 

 

 

 

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