記録のあれこれ 154 「荒川の恵み 四百年の歴史ある大里用水を次世代へ」

六堰頭首工を渡る前に、重忠橋のたもとに大きな石碑がありました。

 

荒川の恵み 四百年の歴史ある大里用水を次世代へ

国営総合農地防災事業竣工記念之碑

 

 本事業は、荒川中流域にあり、六堰頭首工を要とする荒川左右岸に広がる、三市三町二村(現在四市一町)にまたがる、水田三千八百二十ヘクタール、関係農家七千七百五十一戸を受益とする広大な地域で実施されたものである。

 この地域のかんがい施設の歴史は古く、江戸時代初期(慶長二年)に六つの堰により取水がはじまり、昭和初期(昭和二年から十四年)県営大里用水路改良事業による六堰の統合と基幹線用水路の改修によって今日の用水系統事業が確立された。

また、荒川総合開発の一環として、建設された二瀬ダムを水源とする、国県営荒川中部農業水利事業(昭和三十四年から五十一年)によって地区内の幹線的な用水施設の改修を行い、大里地区では安定した農業用水の取水が可能となった。

 昭和四十年代の経済成長に伴い、荒川の洪水量の増大や河床低下、混住化に伴う農業用水の水質悪化、湧水の枯渇から用水不足をきたし、水源を地下水に依存したため地盤沈下が生じ、かんがい施設や農業用水の機能が失われるとともに、五十有余年経過し、老朽化した基幹施設である頭首工、江南サイホンや、地区内用水路の改修が緊急の課題となった。

そこで、埼玉県、関係三市三町二村(現在の四市一町)及び関係八土地改良区一土地改良区連合(現在、大里用水、山王用水土地改良区)は、国営等総合農地防災事業大里地区促進協議会を平成五年(前身である大里用水再編整備事業促進協議会平成三年)に結成し、これらを早期解決するため、事業実施を国に要請した結果、平成六年度に国営総合農地防災事業として着手された。

 本事業の目的である用水施設の機能回復、災害の未然防止を図るため、六堰頭首工の改築と併せて江南サイホンに代わる施設を頭首工に併設し、河床低下によって失われた用水取水の安定を図った。

さらに、農業用水の水質を保全するため、農業用水と家庭排水の分離を行う構造とした用水路の改修を実施し、農業用水の水質改善を図るとともに、地区内の用水配分を検討し、農業用水の合理的利用や管理形態の適正化を図れるような用水路整備を行って、地下水利用から荒川の表流水利用へと水源転換を図った。

また、国営事業にあわせた末端用水路の整備を、国営附帯県営農地防災事業として平成七年度着手し、現在推進中である。

これらのために、六堰頭首工一カ所、幹線導水路約九キロメートル、幹線用水路役三十八キロメートルと主要施設の新設改修を農林水産省によって、総工費四百五億の巨費を投じ実施された。

これらの巨費も農業用水の安定供給のために、国、県、市町で事業分担して実施された。

以上、先人の意志を継いで協調興和と不撓不屈の精神で始めた本事業の完成を記念して碑を建立し後世に伝えるものである。

 

平成十九年一月吉日 

大里用水土地改良区理事長 柴田忠雄撰書

 

 

この地域の歴史でもあり、全国各地の水田が健在である理由でもあり、この半世紀ほどの水の歴史の記録でもあると読みました。

 

 

 

 

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