水のあれこれ 280 星川の下に「大里用水」

星川通りの説明の中に「以前から親しまれていた用水を中央に残し」と書かれていましたが、その直前に見た大里用水の説明がつながりました。

 

星溪園を出てすぐに水路が始まるあたりに少し文字が消えかかり始めていた説明板があり、写真に撮ってありました。

 

大いなる里「大里用水」のご案内 うるおいのある農業をめざして

 

国営大里農地防災事業は、400年の歴史ある「大里用水」を次世代に継承していくため、施設の老朽化や荒川の河床低下が原因で洪水に対する危険性が増大した六堰(ろくぜき)頭首工や都市化による土地利用の変化の影響、生活雑排水の混入による農業用水の水質悪化、湧水の枯渇による水源の地下水位依存など水利施設の問題を改善するため、平成6年度より整備を始め平成18年度に完了しました。

これにより首都圏近郊の有望な食料生産地として、今後大きな発展が期待されています。

 

星川と荒川左岸幹線用水路の歴史

 

星川は元和(げんな)9年(1623)の荒川氾濫でできた星渓園の「玉の池」を水源としている川です。

昭和34~41年度の国営荒川中部かんがい排水事業により、六堰頭首工から取水した農業用水を赤城分水工からトンネルで「玉の池」まで流し、星川を流下して荒川左岸地区の農地を潤してきました。

平成6~18年度の国営大里農地防災事業により、農業用水を多く流すことになったため、赤城分水工からのトンネルを埋めて、新しく北(きた)大通りの交番前から八木橋百貨店の脇を通ってこの場所まで農業用水が流れるトンネルをつくって、星川と星川の下の新しいパイプラインを利用して荒川左岸地区を潤しています。

星川と荒川左岸幹線用水路は2階建ての水路になっています。また、星川の工事は熊谷市農林水産省が共同して行いました。

 

星渓園「玉の池」は星川の水源で年間を通じ相当量の湧水がありました。しかし、地下水低下のため、湧水は年々減少し、昭和39年の冬には湧水が枯渇しました。

そのため、元荒川暗渠より玉の池に注水するとともに、玉の池と星川の漏水の防止工事を、熊谷市との共同で実施しました。

 

 

冒頭の「星川通り」の説明板には、道路の真ん中を通る星川の下には「用水(パイプライン)」、両側の車道の下には下水管や電気、電話・水道・ガスなどが通っている図がありました。

私の人生と同じくらいの長さで、こうした川の下にも川がつくられ、水を過不足なく大地や住宅地に行き渡らせ、さらに水害からも守られた街がつくられてきたのだと、この案内図の前に立ち止まったのでした。

 

残念なことにペンキでいたずら書きがされた部分もありましたが、今までの散歩で蓄積された知識から読むことができたのでした。

 

足の痛みは限界でしたが、訪ねてみてよかったと満足しました。

 

 

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