玉川上水への関心から、いつの間にか祖父の水田周囲の用水路への郷愁となり、川や干拓地まで見て歩くようになりました。
自分でも、なんでこんなに取り憑かれたように毎月遠出をしているのだろうとわけがわからないのですが、次々と行きたい場所が出てきています。
ちょっと今年は貯金は無理そうな勢いで出費しているのですが、お金には変えられない「百聞は一見にしかず」がある楽しさでもあります。
そのひとつが、今も日本のあちこちにこんなに立派に水田があることを実感したことです。
電車に乗り、少し郊外に出ただけで、谷津のような狭い場所から干拓地まで、整然と稲穂が実っている風景は圧巻です。
半世紀ほど前は、お米の記憶に書いたように、稲作の将来はとても厳しそうだったのに。
農産物輸入自由化とか後継者不足とか、そしてなんとか水田を守ってきてもCO2排出の一因と言われたり、時代の変化に対応しなければいけないのはどの仕事もそうなのですが、ほんの半世紀前はお米をいつも安定して食べられることが夢だったのに、それが実現すると手のひらを返されるような時代に入っていました。
私の祖父の水田があった地域は、駅に近いこともあっていまはほとんどが住宅地になってしまったようです。
あちこちの川沿いを歩くと、元は水田だったのだろうという場所がどんどんと住宅街になっています。用水路だったのだろうなという場所が暗渠になって道路になったり、公園や緑道として利用されていたりしています。
日本からは水田が消えていくのだろうかというイメージでしたが、実際に歩いてみると半世紀前に見た祖父の水田の風景がまるでそのままかのように守られている地域がたくさんあります。
水田は健在。
そして一世紀後の風景はどんな感じなのでしょうか。
ちょっと想像がつかないのですが、やはり稲穂を見て心が落ち着く人が多いのではないかと思います。
用水路を見るのにシーズンオフはなく、次の散歩の計画が出来上がっています。
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