完全母乳という言葉を問い直す 20 <時代の反動で揺れること>

何度か記事を引用させてもらっている「小児内科」2010年10月号(東京医学社)の「特集 母乳育児のすべて」の中の、小児科医の先生が書かれた文を読んで感じたことを書いてみようと思います。


「母乳育児支援のポイント」の「はじめに」より、長くなりますが引用します。強調部分は引用者によるものです。

平成19(2007)年3月に厚生労働省が授乳・離乳支援ガイドを発表した。その背景には平成17年度乳幼児栄養調査により妊娠中の女性の90%がわが子を母乳で育てたいということが判明し、しかも1ヶ月の時点で完全母乳育児が42.4%と過去最低になっていること、また母親の悩みが「母乳不足気味、母乳が出ない」が最多であったことなどがあげられる。
さらに、厚生労働省の母子保健課長は「健やか親子21」において出産後1ヶ月児の母乳育児の割合について指標として取り上げ「60%」という具体的な数値目標を定めている。

昭和30(1955)年代に母乳育児は壊滅的に減少した。それはその時代の風潮が工業製品こそ優れているという意識を深く植え付け、人工乳の発達は母親を子育ての苦労から解放するという幻想を与えたことだといわれる。その後森永ヒ素ミルク事件からの反省、また、母乳成分と、乳児の生体反応の仕組みが解明されるとともに母乳育児の見直しが続いている。


<完全母子別室・規則授乳を取り入れた時代>


昭和30年代に、それまでの自宅分娩から病院での施設分娩に移行しました。
それとともに、母子別室、3時間ごとに授乳時間を決めて新生児室に授乳に行き、規定量のミルクを足すという、人類の歴史の中では全く新しい方法が取り入れられました。


それまでは、ぐずればぱっとおっぱいを出して吸わせていたことでしょう。
「片方5分以内」とか「授乳は20分以内」なんて、時計を見ながらの授乳なんてあり得なかったことと思います。
そして赤ちゃんが眠ればそれで終わり。
ぐずっていたり、あまり体重が増えていないようならもらい乳や何か別の飲み物・食べ物を早いうちから与えていたのではないかということは、<常時離乳している>http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20120524で書きました。


新生児期から乳児期の体重曲線をもとに、ミルクを足すことが積極的に医療者側から勧められるようになった時代でもあります。


最近では、そのミルク全盛の時代の体重曲線が見直され、1ヶ月の時点での体重増加が緩やかでも赤ちゃんの全身状態がよくて、それなりに成長発達していれば見守ってくださる小児科の先生も増えてきました。


それでもまだ、1ヶ月健診で「出生時体重から1kg」増えていないと、母乳が足りないからだと言われてへこむお母さんの話を聞きます。
中にはちゃんと体重が増えていないのは虐待・・・とまで言われて傷ついたお母さんもいらっしゃいます。
産後の心身共に大変な1ヶ月を乗り越えて、「よく頑張りましたね。大丈夫。」の一言が聞けると楽しみに出かけた1ヵ月健診だったことでしょう。


妊娠中に90%のお母さんが母乳で頑張りたいと思っているのに、1ヶ月健診では「完全母乳が42.4%しかいない」と判断するのであれば、そういう背景にはまだまだこの1ヶ月までにどれだけ新生児は体重が増えればよいのかというコンセンサスが現場にないことも一因ではないかと思います。


「母乳不足感」でミルクを足し始めたお母さんたちの中には、健診での「体重増加不足を指摘される」ことへの不安も大きいのではないでしょうか。
産後のフォローを通しての感触としては、「育児の大変さから解放されたい」ということよりも体重が増えなかったらどうしようという不安なのではないかと思います。
特に、いまだに規則授乳や授乳前後の児の体重測定をしてどれだけ母乳を飲んだか計測している施設で出産した方は、この不安感を強く感じていらっしゃるようで、なかなかミルクを減らしにくいようです。




<1950年代以降、母乳栄養は壊滅的だったのか>


昭和30年代の前の時代にどれだけ母乳で育てていたかという統計があるのかは不勉強なのでわかりませんが、もしあったとしても「母乳」「混合」「人工栄養」の3つに収まりきらないほど、さまざまなパターンがあったことでしょう。


ですから「昭和30(1955)年代に母乳育児は壊滅的に減少した」ということは、具体的に何を指すのか、よく理解できません。


同じ「小児内科」2010年10月号の特集の別の記事に、昭和65(1985)年の母乳栄養の割合を示したグラフが掲載されていますが、それをみると「母乳栄養」は1ヶ月健診で49.5%、3ヶ月健診でも39.5%の実施率があります。
「混合栄養」もあわせると、1ヶ月で91%のお母さんが母乳の授乳をしています。


1985年といえばほとんどの施設が母子別室・規則授乳で、入院中は必ずミルクを足していた時代です。
昭和30年代に「母乳育児が壊滅的になった」とするならば、なぜ昭和60年代には半数の方が「母乳」に復活したのかという素朴な疑問がでてきます。


厳密に言えば当時は入院中にミルクを補足していたのですから、「完全母乳」の割合はもっと減ることでしょう。


反対に、ちょっとぐらいミルクを足したのは「母乳」でよいとすれば、もっと母乳率は増えるのではないでしょうか?


でもお母さんたちが「完全母乳」をできないとすれば、もっと別にそれぞれの理由があるのです。
そこへの支援を考えずに、医療者側で勝手に目標数値を定めることは何の意味があるのでしょうか。



<時代の反動ではなく>


母子別室、規則授乳とミルクを足して体重を増やすように、あるいは1歳で卒乳をと勧めていたのは産科医・小児科医であり、助産師・保健師でもありました。


一転して、ミルクや哺乳ビンを使わずに母乳だけで、しかもできるだけ長く授乳するようにというのも、また同じ医療従事者側です。



お母さんたちが知りたいことや困っていることは、以前は赤ちゃんの体重が増えないと時に厳しく叱られてミルクを足すように言われていたのに、なぜ、どのような理由で母乳だけがよいと医療従事者が変化したのか根拠を知りたいということです。


前の時代は間違いだったのですか?
私は本当に母乳だけで大丈夫なのですか?
そこを知りたいのではないでしょうか。


前の時代を否定してこちらが正しいという反動では、また次には反動を生んでしまうのではないでしょうか。
「今まではこういう考えに基いていたけれど、この部分はもう少しこうしたほうがよいことが明らかになった」という連続性がなければ、世の中は強く主張する声に翻弄され続けてしまうことでしょう。




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