院内助産とは 26 <「寄り添う」とは>

「院内助産」のHPを見ると、「産む力」「生まれる力」「主体的なお産」などとともによく見かけるのが「産婦に寄り添う」という言葉です。
もちろん「院内助産」に限らず、妊娠・出産の中で「寄り添う」という表現を世の中は好んで使うようです。



<「寄り添う」はどこからきたのか>


病院の分娩に対する批判の中でも「陣痛室で、時には分娩室でもひとりにされて誰も来てくれなかった」という産婦さんの声は、切実なものがあると思います。


また、助産師側も分娩進行中の産婦さんにずっと側についていたくても分娩が重なったり、病棟の忙しさに仕方がなく側を離れざるを得ない状況があり、何とかしたい、何とかして欲しいという気持ちは痛いほど分かります。


ですから院内助産では「ひとりぼっちにはさせませんよ」という意味の「寄り添います」という宣言でもあるのでしょう。
そして助産師も分娩進行中は産婦さんの側を離れずに分娩介助に集中できます、というのは確かに助産師のやりがいにはなると思います。


<産婦さんは実際にどのようにひとりにさせられているのか>


「産婦さんをどれだけ実際にひとりにさせているか」。
実は、このあたりもそれぞれの施設の実際の全体調査のようなものはされていないままではないかと思います。


毎度、私の個人的体験談で申し訳ないのですが、私が勤務した病院は全て混合病棟でしたが分娩進行者がいると助産師は分娩に集中できるように配慮されていました。
分娩が重なると、誰か彼かが他の産婦さんを見に行ってくれて声をかけてくれていました。
看護師さんたちは、「他の患者さんのことは任せて!助産師さんはお産に集中してね!」と普段の何倍もの仕事をこなしてくれていました。


どこの病院でもそんな感じだったので、私は産科に勤務してくれる看護師さんには本当に頭が上がらず感謝の気持ちでいっぱいです。


私の経験がこれまた希有だっただけなのでしょうか?


もちろんスタッフの努力だけではどうしようもない、業務量の限界があります。


分娩が重なればあるいは混合病棟で入退院や処置が多く業務量が増えれば、産婦さんだけでなく声を出せない新生児に対しては、その存在さえ数に入らないままケアの質を下げざるを得ませんでした。


「院内助産では産婦さんに寄り添っています」
そういうアピールをする前に、日本中の産科病棟で「産婦さんや新生児が放っておかれている現状」を調べ、そちらを改善する方が周産期医療や周産期看護の中では最優先課題だと思います。


<産婦さんをひとりにさせない他の方法はなかったのか>


いくつか可能性はあったのではないかと思います。


通常、病院では健康保険による患者対看護師数が基準になります。
多くの産科病棟は新生児数は患者数に入れられず、通常の病棟と同じ計算で看護師・助産師の配置数が決められます。


でも分娩は「自費診療」の部分が大きなウェイトを占めます。
ですから、保険診療にあわせた看護師・助産師配置数ではなくスタッフを配置することが可能ではないかと思います。
あるいは新生児の専門スタッフとして保育士さんを配置するなども、自由裁量として可能ではないでしょうか。


もちろん他の病棟も忙しく、看護師数を増やして欲しいのは同じですから産科のある病棟だけではなく病院全体のバランスから考える必要はあると思いますが、病院経営者に産科看護の特殊性を説得する努力はあまりにも少なかったのではないかと思います。


また、あまりにも「妊娠は病気ではない」「ほとんどの分娩は正常に終わる」ことを強調することで、分娩自体が二人の生命の救命救急に一転するリスクの大きさが軽視されてきたとも言えるでしょう。


「分娩は母子二人の救命救急に一転するリスクがある」ことが看護管理の常識となれば、ICU並みのスタッフ配置数を要求することだって可能だと思います。


あるいは夜間や休日に分娩が重なったり、緊急帝王切開で応援スタッフを呼び出すことで安全性が高まることへの看護加算を国へ要求する方法もあるのではないでしょうか?


「ほとんどの分娩は医師の介入も必要なく、正常経過に終わる」ことを強調すればするほど、産科病棟の分娩を扱うリスクが軽視されるという矛盾を生むことになってしまったのではないでしょうか。



その施設の分娩予定者数から付随する業務量を計算し、分娩に必要なスタッフ数を確保することを看護管理者や看護研究者はもう少し研究して声を上げてくださると現場は本当に助かります。



個人的には「寄り添う」という表現が好きではないのですが、なぜ自分がこの言葉に違和感を持っていたのか。
前回までのベナーの5段階の中で、そのヒントを見つけました。
次回はそのあたりを考えてみたいと思います。




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