「救急処置」 学生時代の教科書より 、出産は母子二人の救命救急

私は、外科系と内科系の病棟で看護婦として勤務したあとに助産婦になりました。


病棟での急変の対応はそれなりに経験もしていた私でしたが、産科救急というのはまた違った怖さがあると感じながら助産婦学生時代には学びました。


産科救急の特殊性は、妊娠中であれば母体・胎児の二人の生命の危機に一転することがまずあげられると思います。
他の診療科のように、その「患者さんひとり」でも急変時の対応は迅速性な判断と正確な処置が求められるのに、産科では二人の状態を把握し判断していく必要があります。


つぎにそれまで何も経過に問題のなかった「健康な」母児が、突然、重篤な異常へと変化する可能性があることです。


現在の勤務先は診療所ですから、基本的にはローリスクの方を対象にしています。
総合病院から転職した当時は、すんなり産まれるお産が多くのんびりとしているかと期待していました。
ところが分娩数が増えるに従って、緊急対応が必要な例が増え、周産期センターへの搬送数も増えています。
ローリスクであっても「正常に終わる」のは確率の問題であるということです。
助産所も分娩件数が増えれば、同じ道をたどることでしょう。


「突然、重篤な異常へと変化する」もっとも怖い事態で、もっともよく遭遇するのが産科出血です。
あっという間に、1000、2000mlの出血がおきます。
人体のそれこそ生命線といえる血液が失われていくような急変は、他の診療科でいえば交通事故などの外傷、消化管出血、あるいは周手術期などに限られていることでしょう。


そして「胎児から新生児」という、生きる環境が激変する状況での救命も他科にはない特殊性といえます。


助産婦学生の頃に、どのように救急処置を学んだのでしょうか。


<学生時代の教科書より>


「『分娩第1期のケア』学生時代の教科書より」で書いたように、「客観的記述で簡潔によくまとめられた教科書」と今読んでも感動する、日本看護協会出版会の「母子保健ノート2 助産学」を使って学びました。


その教科書は600ページもあるのですが、その中の50ページが「救急処置」にあてられています。
妊娠から産後までのすべての「助産」にかかわる内容をまとめた本の中で、1割近くが救急処置にあてられていることの意味を、当時はまだ本当には理解できていなかったと思います。


また、授業でどこまで詳しく学んだのか記憶にないのですが、教科書に一生懸命書き込んだ跡があるのは「異常出血」と「新生児蘇生法」の部分だけでした。
居眠りもせずとても真剣に授業を受けていた(本当です!)はずですから、もしかしたら授業ですべての救急処置を教える時間がなかったのかもしれません。


さてその教科書の「救急処置」の冒頭の部分に「救急処置と助産婦の役割」が書かれています。
今読んでも、決して内容の古さを感じさせない名文ではないかと思います。

 救急処置の基本は、母子の生命を維持し、最善の治療が行われるまでの症状の悪化を防止し、有益な生活への復帰ができるようにすることにある。周産期においては、予測しない異常事態が突発的に発生し、その変化が急速で母子に影響を及ぼすことが多い。助産婦として救急に応じた優先度を決め、医師への報告、救急処置をするためには、理論に基づく鋭い観察、判断と正確な看護技術が要求される。平素より救急事態に対応できるように、人的、物的な環境の整備をするとともに、妊産婦教育への努力をもして異常の発生予防に努めることも大切である。(p.250)

まさに全文をピンク色で強調したい内容です。


この内容こそが、近代産婆の時代からこの教科書が書かれた1980年代後半までの助産婦が実践の中で勝ち得た教訓であり、助産の本質といえるでしょう。


そしてそれは近代産婆の時代からおおよそ一世紀の間に確立することができた助産学」の学問的な基盤になる部分ではないかと思います。


この実践から得た本質は、「お産は終わってみなければ正常かどうかわからない」あるいは「出産は母子二人の救命救急にいつでもなり得る」ということだと思います。


この本質に忠実に産科施設の改善のために力を尽くしていれば、今頃は産科施設の設備やマンパワーの充実の改善が進み、結果的に産婦さんにとっても快適なケアの時代の一歩を踏み出していたのではないか思います。


たとえば分娩扱う産科病棟はICU並みの人員配置を求めるとか、空きベッドがあっても他科の患者さんを入れて混合病棟として使用しないように要求するなどかできたのではないかと思います。


あるいは「理論に基づく鋭い観察、判断と正確な看護技術」を全ての周産期看護の関係者が本当に理解できるような教育(卒後教育も含めて)がなされていれば、安易に代替療法を用いる流れを止めることができていたことでしょう。


ところが「正常なお産は助産師の手で」「ほとんどのお産は正常に終わる」と言い換え、医療批判と引き換えに助産師の権益を得る政治力に流されてしまったのではないかと、この20年を見て思います。


「終わってみないと正常なお産とはわからない」「出産は母子二人の救命救急」このふたつこそ、助産師教育の核にして欲しいものです。