医療介入とは 6 <妊婦健診について>

日本で出産が病院・診療所で行われるようになるまで、いくつかの段階があったようです。


私は医療の歴史に関しては素人なのですが、「女性学年報 第32号 2011」(日本女性学研究会 女性学年報編集委員会)の「戦間期における産婆団体の自立と揺らぎ」(木村尚子氏)を読むと、大出春江氏の研究を参考に以下のような記述があります。

大出は、1910年代後半から1920年代にかけての「病院主義」の台頭、社会事業としての産院の普及、健康保険法による分娩給付という3つの要因により、分娩の施設化が始まったと指摘する。(p.166)


「病院主義」というのはひとつの見方に過ぎないとは思いますが、1890年頃から病院や産院が日本でもでき始めたようです。
当時、病院で出産するのは限られた富裕層を対象にした病院と、貧困層を対象にした産院との両極端だったというような話を読んだことはあります。


その後1927年(昭和2年)から健康保険法による分娩給付が始まりましたが、まだ一部の国民のみで、国民皆保険が達成されたのは1961年(昭和36年)のようです。


健康保険によって分娩給付を受けられない人が多い時代には、妊婦健診はおろか、出産さえもできるだけ出費を抑えようとしていたことでしょう。
1961年以前は、どれくらいの妊婦さんが、どれくらいの頻度で医師または助産婦による妊婦健診を受けていたのでしょうか。


また国民皆保険の時代になっても、妊婦健診に関しては基本的に自費でした。
2009年になってようやく国が妊婦健診14回分を助成する方向になったのは、記憶に新しいことです。
未受診でのいわゆる飛込み分娩の母子双方へのリスクが、ようやく社会に認知されるようになりました。


国民皆保険が始まった頃の母子手帳より>


出産が病院・医療機関で行われるようになっても、どれだけ妊婦健診の重要性に耳を傾けられていたのでしょうか。
自費ということでやはり経済的な不安の方が上回り、健診を受ける機会を減らしてしまっていたのではないでしょうか。
妊婦健診でエコーが取り入れられ始めた頃「エコーは高いのでしないで欲しい」という方もいらっしゃいましたし、「お金がなかった」と健診予約の日に来院されない方もいらっしゃいました。


2009年を境にしたそれまでの妊婦健診の受診状況との比較については不勉強でまだわかりませんが、今から半世紀前にどのように妊婦健診が啓蒙されていたかがわかるものが手元にあります。
私自身の母子手帳です。


現在の母子手帳に比較するとわずか36ページの薄い冊子です。
私は第二子だったこともあるのでしょう、「妊婦の記録」欄などほとんど空白のままなのは、今も昔も変りませんね。
(みなさま、二人目以降もちょっとでいいので記入してあげてくださいね!)


母の初診は23週。その後26週、30週、34週、38週そして40週に妊婦健診を受けて、その後分娩になっています。
おおらかな時代ですが、当時の社会全体の生活状況を考えると妊婦健診の出費は大きかったのだろうと思います。


その母子手帳の「妊産婦の心得」には以下のように書かれていました。

3.保健指導
妊娠の初期と後期とには少なくとも一回ずつ保健所または医師・歯科医師を訪ねて健康診断を受けてください。
また毎月一回は、助産婦の保健指導を受けてください。母親学級に出席することもよいことです。

妊娠中に少なくとも2回、医師の診察を受けるように呼びかけるのが、国民の生活の実情にあったレベルだったのでしょう。



そして「イ。梅毒の検査」「ロ。結核の検査」を受けることに続いて血圧・検尿の重要性が書かれています。

ハ。血圧と尿の検査
妊娠中毒症は妊婦に最も多い病気で、弱いこどもが生まれたり、母体の死亡や死産の原因になりますから、毎月少なくとも一回血圧や尿の検査を受けてこの病気を防ぐようにしてください。

出生10万に対して150人、その少し前は200人近い年間母体死亡率の時代でした。
つまり日本中で1年間に2000人前後のお母さんが出産で亡くなっていました。
妊婦健診をほとんど受けず、原因が特定できない出産時死亡も多いことでしょう。もし妊娠中毒症(現在の妊娠高血圧症)の管理がされていれば・・・と思えるような方も多かったのではないかと想像しています。


<おまけ>


当時の「妊産婦の心得」では、医師・歯科医師の「健康診断」と、助産婦の「保健指導」を明確に書き分けています。
これはとても重要ではないかと思います。


助産師外来」あるいは助産所で、助産師が妊婦さんへ関わるのはあくまでも「保健指導」ということを、助産師側が忘れてしまっているのではないかと思う最近の風潮を危惧しています。


妊婦健診について、もう少し続きます。