医療介入とは 9  <「過度」の医療介入とは何をさしているのか>

妊娠中の医学的管理や妊婦健診の内容に関して、「それは過剰な医療介入だ」とか「妊婦健診の回数を減らせ」という議論はあまり目にしません。


おもに出産に関して、過剰あるいは過度な医療介入という批判が向けられるのではないかと思います。


どのような受け止められ方をいているのでしょうか?



<「出産の医療化と『いいお産』」より>


ネット上でアトランダムに探してみつけた論文ですが、出産の医療化の議論によく見られる表現や背景がわかりやすいので参考にさせていただこうと思います。


「出産の医療化と『いいお産』」松島 京氏、立命館人間科学研究第11号、2006年
http://www.ritsumeihuman.com/publications/read/id/13
(直接リンクできなかったので、この目次からたどってください)


この中で筆者は「日本では、ここ10年ほど「いいお産」経験の重要性が語られている。」とし、以下のように書いています。(p.148)

「いいお産」とはそもそも何をあらわすのだろうか。「いいお産」経験の重要性が語られ出した背景には、戦後急増した産科での出産における過度の医療管理化があげられる。

医療化が導入された直後は、出産時の衛生面が向上し安心や安全が確保されたかのように思われた。
しかし高度な医療管理による身体への悪影響と、それによる痛みや恐怖が表面化するにつれ、出産に対する医療的な介入は疑問視されるようになった。

出産はそもそも病気ではなく自然な現象であり、女性は自らの力で出産をすることができた。しかし、医療によって痛みや恐怖が与えられている。
だとしたら、医療は過剰に介入しすぎではないだろうか。

このような視点から、出産への過度な医療介入が批判され、「自然な」出産の重要性や快適性や安全性が主張されていく。


過度や過剰なあるいは高度な医療介入とは、具体的になにをさしているのかは明確にされていません。
また病院で出産するようになった頃から、本当に過度の医療介入がされていたのでしょうか?

そのあたりは、今後、少しずつ書いてみようと思います。





また「1-2 少子化対策としての子育て支援」では、厚生労働省が2002年に出した「少子化社会を考える懇談会中間とりまとめ」の以下の部分が引用されています。(p.149)

お産に妊産婦が主体的に関わることができるようになることで、主体的な子育ての準備になることが期待される」として、「第一子の出産でつらい思いをし、『もう子どもは産みたくない』という気持ちになることがないよう、安全で快適な『いいお産』ができるようなケアが求められている」と述べられている。

妊産婦の主体性という視点から、次に「2-2 日本における出産の医療化」の中で、以下のように書かれています。(p.151)

出産の医療化は、まさに医療による女性の身体と自己決定権の抑圧として捉えられた。

出産の医療化批判は、出産のあり方を問う活動として助産婦を中心として展開されていくことになる。
(中略)
「よいお産とは、産婦自身の自覚が必要である。主体的な自己管理が必要である」ということが、共通の認識となった。

この流れのもと、病院ではなく助産院で出産することや、いっさいの医療介入を必要としない自然なお産(natural birth)の良さが主張されていく。
ここで顕著なのは、出産への主体的な関わりであり、それによる医療化(医療による身体への介入)への抵抗というものである。


初産の出産というのは医療介入があるからつらいのではなく初産の分娩そのものによるものであり、初産自体が医療介入の必要性も高くなるという助産師にすれば自明のことを助産師自らがあいまいにしてしまったのではないかという疑問は、「医療介入とは2 <初産と経産>」http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20120824で書きました。


本当に過度の医療介入が行われ、病院での出産では妊婦さんの主体性が失われるのでしょうか?
初産を無事に医療機関で乗り越えたからこそ、経産婦さんが助産所や自宅であるいは院内助産で「自分らしいお産」を選択できたと思い込むことができるともいえるのではないでしょうか。


この論文は興味深い部分がまだたくさんあるのですが、一旦ここまでにして、次回からは具体的に批判の対象にされている出産時の医療介入についてひとつひとつ考えてみようと思います。