アクティブ・バースやフリースタイル分娩について書かれたものには、必ずと言ってよいほど「昔は産婦さんが自由に動き回っていた」という内容が書かれています。
たとえば、11月16日の「医療介入とは 49 <アクティブ・バースとフリースタイル分娩>」で紹介した、助産師向けの雑誌ペリネイタルケアの特集号の「はじめに」を再掲します。
http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20121116
「特集 写真でパッとわかる!きっとできる! フリースタイル分娩の立ち位置・手の位置・娩出法」
ペイネイタルケア 2012年7月号 (メディカ出版社)より
はじめに
フリースタイル分娩やアクティブ・バースという分娩スタイルが、あたかも最先端の分娩介助のごとく捉えられているが、分娩時の体位は歴史的な文献からも分かるように、本来は垂直位が主流であった。しかし医療者側の取扱いやすさや、「安全」の名のもとに、医療者主導で水平位が用いられてきた経緯があり、医療者の前では受身である産婦の意思や尊厳は、軽視されてきたとも言える。日本で自宅分娩が主流だったころは、産婦自身が陣痛のさなか、少しでも安楽に過ごせるように身体を動かしながら自由な体勢で過ごし、分娩を迎えていた。
一見、うまくまとめられている文章で納得させられやすい内容です。私も二十数年前にアクティブ・バースを知った時には、こう思い込んでしまいました。
自ら学んだ助産学の教科書には、きちんと産婦さんの快適性を大切にするべきであることが書かれているにもかかわらず。
昔は産むときはたしかに立位や座位のお産が主流だったようです。
でも、それは産婦さん自らの意思や選択だったのだろうか。
それしか選択がない、横になりたくてもできない選択のない状況もあったのではないか。
そんなことを何回かに分けて考えてみようと思います。
<分娩体位の変遷>
1995年に出版された「分娩体位と分娩管理」(永井宏、兼子和彦、江口勝人編集、金原出版株式会社)の中に分娩体位の歴史的な変遷について書かれています。
編者は産科医の先生方です。
分娩体位は大きく立位と臥位に大別されるが、おおまかな流れとして、原始の時代より基本的には立位による分娩が行われ、産科学の芽生えとともに臥位が導入され、さらに産科学の発展により横臥位砕石位が主流となって現在に至っている。
そしてクスコーの遺跡、古代メキシコの女神像あるいはクレオパトラの分娩など古代のお産がイメージできる資料や、アフリカやメキシコでなにかにつかまって出産している絵やペルシャ、ブラジルなどで座産の絵図が参考にあげられています。
そして16世紀になり、ヨーロッパで「近代的(医学的)な助産の向上が図られ(同上、p.7)、この頃の分娩体位は分娩椅子による座位分娩が主流になったと書かれています。
16世紀末にチェンバレンが分娩用の鉗子(かんし)を発明し、王室の産科医モリソーが、「それまでの分娩椅子に代えてベッドを使用することを提唱した」。
そして「当時のフランス宮廷の社会的影響力が強大であったこともあり、ここに立位より臥位への分娩体位の変遷において画期的な転換」が始まったとされています。
このあたりがルイ14世の性癖によって仰臥位分娩、そして分娩台が主流になったという陰謀論的な話になっていくのではないかと思いますが。
確かに、立位や座位の分娩姿勢から横臥位へという変遷は世界中で歴史的にあったようです。
<横になれない出産の場があったのではないか>
ただ、その本の中に「図6 日本の分娩法」として、産婦が布団を丸めたものに寄り掛かって上体を起こした状態で、分娩している絵があります。
現在の分娩台での出産に近い体勢です。
「19世紀、水原義博(三折)「(産育全書)産科図式」1837年より」とあり、江戸時代の終わりの頃に描かれたもののようです。
当時この絵に描かれているような布団の上で出産できるのは、もしかしたらごく一部の上流階級の女性ではなかったのでしょうか。
前回の記事に書いたように、トリアゲバアサンは「いきむと、大便はでるし、きれいな仕事ではなかった」とあるように、出産の場は汚れてもよい場所で行わずにはいられなかったのではないでしょうか。
そういう分娩介助が主流の時代というのは、産む場所には汚れたら捨ててよいものしか使えなかったのではないでしょうか。
今のように防水シーツなどもなかったことでしょう。
産婦さんが自由に動けたというよりも、汚れたら捨ててもいいように藁などを敷き詰めた土間や床で、体を横たえる場もなかったのではなかったのではないでしょうか。
あくまでも私個人の推測にすぎませんが。
産み場所で本当に昔の産婦さんは「自由」な存在であったのでしょうか。
しばらくそんなことを考えてみたいと思います。