医療介入とは 96  <「体感」と「データーによる客観化」>

年齢とともに、時間がたつのがとても早く感じます。
20代の頃は、休日というと朝寝坊というより気づいたらお昼近くまで眠っていたこともありましたが、その後に外出してもまだ時間はいくらでもあるという感じでした。


最近は朝早く4時半とか5時頃に(!)目が覚めて、ブログを書いたり片づけをしているともう昼頃になっていて、そのまままたあっという間に夜が来る感じです。
休日にやることのリストを作っていても、なんだか終わらずに時間だけが飛ぶように過ぎていく感じはなんなのでしょうか。


物理的には同じ時間なのに、感覚というのはあいまいで不思議なものですね。


反対に何度も体が記憶していくことで、けっこう正確な時間の感覚もあります。
ひとつは、しょっちゅう脈拍数や心拍数を観察しているので、時計を確認しなくてもだいたいの数値がわかります。
もうひとつは、泳ぎ続けてきたことで25mや50mを泳ぐラップタイムがだいたいわかるようになりました。もちろん、競泳選手ほどの正確さはないですが。


こうした時間や距離感など体感と実測では人間の感覚というのはかなり不正確ですし、さらに記憶となるとあやしいことが多くなりますね。


<体で感じる>


雨が降り出すだろうという予測にも、けっこう自信があります。
天気予報では降水確率がゼロでもにわか雨になることがありますが、そういう場合には雲の様子や空気などから「15分後には雨が降り始めそうだから早めに家を出よう」と見当がつき、だいたい当たります。


でも最近では、東京アメッシュがあるので、より確実に突然の雨を予測した行動をとれるようになりました。
関東近辺の雨雲の様子がわかるので、出勤や外出にも重宝しています。


天気予報だけでなく、花粉情報、紫外線情報、そして熱中症予報と、最近ではさまざまなデーターによって生活が守られていることを感じます。


すべてがこうした客観的なデーターがあるわけではないので、生活の中では体で感じて観察していることが活かされている場面はたくさんあります。
ただそうした観察には、どうしても「思い込み」が入りやすくなります。


とくに「こういう時はこうなるはず」と、自分の過去の経験あるいは自分の期待感が入ってしまいやすいので予測が外れることも多いものです。
ただ、うまくいった時の記憶は残っても、都合の悪いことは記憶していない可能性もあることでしょう。


<「医療介入」とは蓄積されたデーターの応用>


看護技術の初歩的な知識として、体温計や血圧計の原理を学びます。


おでこに手を当てて「熱い」から熱があるという判断も、その体温は実際に何度あるのか、平熱とは何度なのかという基本的なデーターがなければ決めることができません。


現在は電子体温計が主流ですが、私が看護学生の頃は水銀計が主流でした。
徐々に水銀が上昇していく様子を見ながら、これを発明した人はすごいと改めて感じたものです。あの1分の目盛りが少しでも不正確であれば、そのデーター自体も不正確になってしまいます。


体温の場合には、手で触れた感覚という体感でおおよその目安が分かる場合もあると思います。


ところが血圧になると、表情を見てもわかるものでもありません。


血圧が上昇すると、頭痛や眼華閃発(がんかせんぱつ、目の前がチカチカする)あるいは首の後ろが張った感じなどが起きることは医療従事者であれば初歩的な知識です。
でもそれが血圧の上昇と関係があることを証明するためには、正確な血圧のデーターが必要になります。


血圧計が開発されたのは1896年ですからわずか117年前ですし、コロトコフ音が発見されて現在の血圧測定の理論ができてわずか一世紀です。


看護学生の時に、上腕動脈をカフで圧迫し、その圧迫が解除されていくのに従って、4段階の血流音が聴こえることに本当に感激しました。


1980年代初頭、看護師として勤務した外科系病棟では、術後管理の血中酸素濃度を知るためには動脈血ガス測定しかありませんでした。
静脈と違って動脈採血は採血後に5分以上スタッフが圧迫止血をする必要があるほど、患者さんにも侵襲の大きい検査です。
でも当時国内に3台しかないCTがあったような大病院でも、当時はその方法しかありませんでした。


看護の観察はまずバイタルサインの中の体温・心拍(脈拍)・血圧・呼吸の4項目が基本的なものです。
この中でも呼吸については、呼吸数と呼吸が浅いか深いかぐらいしか客観的な表し方がありませんでした。
「苦しい」と訴えても、どの程度、どのように苦しいのかは、観察者の体感に左右されるものでしたし、検査と言えば侵襲の大きい動脈血ガス測定ぐらいでした。


その呼吸についても、苦しさの指標になる血中の酸素の状態が(*)1980年代終わり頃になるとパルスオキシメーターが実用化されて、指先に小さな器械を装着させるだけで測定できるようになりました。
しかも、持続した変化までわかるようになりました。
(* 少し文を補足しました。2013年11月24日)

表現しきれない体の変化(体感)をできるだけ数値などで客観的に示すことができること、しかも誰が測定しても正確にできること、そしてその蓄積されたデーターで治療やケア方法が標準化されていく。


それが「医療」であり「医療介入」なのだと改めて思うこの頃です。