自律授乳のあれこれ 7 <新生児は誰によってどのように観察されてきたか>

私が生まれた1960年代初め頃は、半分の人が自宅で生まれていました。


その自宅分娩も、医療を少し学んだ助産婦がまったく関わらなかったお産もまだあった時代でした。


たとえ、助産婦が産後数日ぐらい訪問したとしても、せいぜい沐浴をしながら新生児を観察するぐらいだったことでしょう。



こちらの記事で、昔は夜中に出産後のお母さんたちを眠らせない<産椅(さんい)とヨトギ>という方法があり、それは夜通し新生児を見守る(観察する)ためのシステムだったのではないかということを書きました。


1960年代初頭は、日本の半数の赤ちゃんが自宅で、そのように家族だけに観察されていた時代だったといえます。



<1960年代、施設分娩への変化と新生児の観察>




反対に1960年代初頭は半数の赤ちゃんが病院で生まれ、数日間から一週間程度は医療の「専門家」によって新たな育児法が奨められた時代でもあります。
出生後から新生児室に預かり、規則授乳によって育てる方法です。



当時の助産婦自身もまたそれまでの自宅での分娩介助から病院勤務へと大きな変化を受け入れていく過渡期でした。
この新生児室で預かり規則授乳をする方法を、当時の助産婦はどのように受け止め、どのように浸透していったのか、文献が見つからないので想像するしかありません。


「母子同室」「自律授乳」が当たり前になった今の時代から考えると、なぜ当時はこのような「不自然な」方法を取り入れていったのか理解しにくいとことでしょう。



「出産と医療、昭和初期」開拓産婆で紹介した資料にあるように、「お産にゼニをかける必要はない」という意識や産後の栄養や休息など社会の風習を変えていくことに苦労をしてきた産婆や助産婦にとっては、むしろ新生児を自分達できちんと見守ることができる方法として歓迎された可能性もあります。
栄養不良と感染から新生児を守るために。



この1960年代は、新生児を誰が観察するか、どのように観察するかという点で、人類の歴史の中でかつてないほどの転換期でもあったのだと改めて思います。



<「新生児看護」の黎明期>


1960年代というのは、それまで主に自宅に赴いて分娩介助していた助産婦が、病院で分娩を介助し、出生直後から退院までの間、24時間の新生児を観るようになりました。


それまでの産婆・助産婦がしたことがなかったのが、24時間継続して新生児を観察する「新生児看護」という分野だったとも言えるでしょう。



助産婦だけでなく、小児科医にとっても「新生児」をどのように観察するのかという方法が少しずつ確立され始めたばかりであったことは、こちらの記事でも紹介しました。


その「新生児の観察」の最優先課題が「新生児蘇生」のためであったことについて書かれたものがあります。


このあたりからの無痛分娩の記事で何度か引用した「無痛分娩の基礎と臨床」(角倉弘行氏著、真興交易(株)医書出版部、2011年)の中で、バージニア・アプガーという麻酔科医について紹介されています。


そう、周産期医療の中では必須のアブガール・スコアーを考え出した医師です。
少し長いのですが、全文紹介します。

 Bonicaが主として母体の安全性を守る観点から産科麻酔の重要性を唱えたのに対して、新生児の安全性を守る観点から産科麻酔に貢献したのがVirginia Apgarである。1938年にColumbia大学を卒業したApgarは、当初、外科で研修を行うが女性であるがゆえに外科医の道をあきらめ麻酔科へと転科する。1938年に女性としては全米で最初の麻酔科部長となるが、1949年に他の男性の麻酔科医が麻酔科の主任教授に選ばれたのをきっかけに、産科麻酔をsubsupecialtyとして選択し、産科麻酔領域の研究と教育に傾倒することとなる。当時は状態の悪い新生児は蘇生を施されることなく放置され死を迎えることが多かったが、Apgarは蘇生により救命できる新生児を見逃さないように腐心した。そして新生児の状態を的確に把握する方法として1953年にApgar Scoreを提唱した。その後も彼女はこのScoreを用いて、分娩の形態や無痛分娩の方法が児の状態にどのように影響するか、蘇生の方法により児の救命率が変化するかを綿密に検討し、新生児の安全の向上に大きく貢献した。

生まれた直後の赤ちゃんがぐったりしていると、半世紀前まではただやみくもに刺激するか放置するかしかなかったのでしょう。


出生直後の新生児の観察が、まずこの蘇生のためから始った。
そしてそれもまだわずか数十年前のこと。


新生児医療と新生児看護はこの1960年代から発展してくるわけですが、それでもこうした救命救急や早産児、あるいは疾患など異常への対応が優先されたのはしかたがなかったことでしょう。


大半の赤ちゃんは、なんだかわからないうちに大きくなっていた・・・という感じで、現代に至るまであまり注目もされていないままなのかもしれません。