めまぐるしく変化する医療体制と看護の方向性

私は2000年代半ばに総合病院から診療所に移ったのですが、今まで書いてきたように母の入院をきっかけに、わずか数年で医療従事者でありながら病院について浦島太郎になってしまったと感じるほど変化しています。



<2000年ごろの総合病院>


多くの病院は、診療科目ごとに入院病棟がわかれています。
そのほうが専門的な治療と看護を行いやすいからです。


ところが1990年代終わり頃に、「ベッドコントロール」という言葉が聞かれ始め、空床(くうしょう、空きベッドがあること)があると病院経営が悪化する時代に入りました。


たとえば内科病棟が満床で入院を受けられなくても、他の病棟に空床があれば診療科に関係なく入院が入るようになりました。
以前もどうしてもという時にはもちろん入院を受け入れていましたが、それは病院の経営のためではなく、患者さんにその治療が必要であるからでした。


ところが、「ベッドが一つ空いていると、一晩3万円の病院の損失になる」と看護部の上層部から言われるようになりました。


看護もそれまでのより専門性のある看護を目指している方向から、病院のベッドをいかにうまく運用するかが優先されるような雰囲気になりました。


たとえば産科は分娩予約があるので、いつお産になってもよいようにあるいは切迫早産などで入院があってもよいようにベッドを空けておく必要があります。
ところが「産科はひまでしょう?」と、他の病棟の軽症の患者さんを転棟させるのです。
内科や外科で新規の入院患者さんを受け入れることで極力、院内の空床を少しでも出さないために、看護部にベッドコントロール担当者までできる時代に入ったのでした。


軽症者といっても高齢者の女性が多く、目を離すと転倒して「医療事故」が発生します。
また、着替えや食事、トイレなどにも見守ることが必要なことが多くなります。
お産や新生児の世話で、スタッフの手が離せない時の緊張感は半端ではありませんでした。


「対象の個別性にあわせた看護」という理想を掲げていた看護の世界が、急に豹変したような印象をうけたのでした。


<空床を出さないことから、さらに入院期間短縮へ>


ただ、その当時はまだ現在ほど入院期間については厳しく言われませんでした。


同じ疾患でも、人によって回復過程が異なります。
多少時間がかかったり、あるいは途中で合併症を併発して入院が長くなっても、自宅に帰る目処がつくまでは同じ病棟にいることができました。


ところが2006年頃からでしょうか。急性期病棟なら2週間、亜急性期・リハビリなら3ヶ月を越えた患者がいると、病院の収入が減収になるシステムが始りました。


私はこのあたりの経過を正確にはわからないので、もしかすると知識に間違いがあるかもしれません。


ただ、「看護師お悩み相談室(掲示板)」の「ベッドコントロールということはわかりますが」という相談を読むと、私が総合病院で働いていた時以上に、入院期間短縮のためのベッドコントロールが現場の看護職にのしかかっているようです。



実は私も病院での勤務に見切りをつけて診療所へ移ったひとつの理由に、このベッドコントロールに四苦八苦させられることが苦痛だったこともあります。
患者さんを駒のように、いとも簡単に移動させる。
それがとても苦痛でした。

自分がしてきた看護とは違う看護の世界に変節しているような雰囲気に耐えられなくなったのでした。


臨床の現場で働いていると目の前の悩みで精一杯で、どうしてもその原因を病院内の人間関係などの小さな世界への不満で止まりやすいものです。


本当は私たち看護職は、この十数年ほどでめまぐるしく変わってきた医療体制からくる働きにくさの本質にまで目を向ける必要があるのではないかと思います。


そしてその変化は本当に患者さんや家族にとってよい看護につながっているのか、つながっていないとすれれば何が問題なのか、そんな方向性を一緒に探してくれて声をあげてくれるような看護の研究者がたくさん育つことを願っています。