記憶についてのあれこれ 7 <コーヒー>

今もコーヒーを飲みながら、このブログを書いています。
コーヒーが大好きで、半世紀ちょっとの人生のほとんどをコーヒーを飲んで過ごしてきたと、なんだか感慨深く思うこの頃です。


最初にコーヒーを飲んだのはたしか幼児の頃で、遊びに行った祖父の家だったような気がします。
祖父がおいしそうに飲んでいるのを見て、祖父がちょっと席をたった隙にひと口飲んだのでした。
「子どもが飲んだらダメだ!」とひどく怒られたような記憶があります。
あ、でもあくまでも記憶なので、本当かどうかは自信がないのですが。


幼児時代に祖父の家で同じように隙を狙って味わおうとしたものに、ビールとタバコがありました。
大人がしていること、しかもおいしそうにしていればなおさら真似をしたくなるお年頃ですからね。


どちらもすぐにみつかって、すごく怒られた記憶があります。


結果、その3つの嗜好品のうちタバコだけはにおいも大嫌いになり、ビールとコーヒーは大好きになりました。あ、もちろんビールはもう少し年齢がいってからですが。


<コーヒーをよく飲むようになった頃>


コーヒーも「子どもが飲むものではない」と親から言われていましたが、晴れて解禁になったのは、こちらの記事に書いたように、1969(昭和44)年に東名高速道路が全線開通した頃でした。


父が徹夜で車を運転して祖父母の家に行くようになり、途中で飲めるようにとインスタントコーヒーを持っていくようになったのでした。
もちろん、子どもの私たちは疲れて途中で眠っていたのですが、「ハレの日」は子どももコーヒーを飲んでよいという感じになったのでした。


あの頃から、我が家ではコーヒーを飲むことが多くなりました。


でも、まだインスタントコーヒーしか身近にはありませんでした。


<我が家のコーヒーブーム、1970年代>


1970年代に入って、どういう経緯かは忘れてしまったのですが、我が家でも本格的にコーヒー豆から入れるようになりました。


最初はネルドリップで入れていましたが、たしか中学生になった兄弟が自分のお小遣いでコーヒーサイホンを買ったのでした。


コーヒー豆をガリガリと挽いて、アルコールランプの火で沸騰していくお湯を眺めながら、家族がいまかいまかとコーヒーサイホンの周りで待っていた光景が眼に浮かびます。


ただ、コーヒー豆はまだまだ高価だったので、あれも年末年始など特別な時だけだったような気がします。


<日本のコーヒーの広がりの歴史に一致していたのかもしれない>


1970年代おわり頃に看護学校に入ってからは、同級生はまだインスタントコーヒーの方が多い中、私はペーパーフィルターで入れたコーヒーを飲んでいました。


このあたりからは毎日必ずコーヒーを入れるようになりましたし、コーヒー豆も高いことは高いけれど贅沢品でもなくなってきたように感じました。



この記憶は正確なのかなと思ったので、少し検索してみました。



日本インスタントコーヒー協会のサイトに、「コーヒー豆の輸入量は1960年の自由化以来、年々著しい伸びを示しています。インスタントコーヒーにつきましても、1961年の7月に自由化がなされ、インスタントコーヒー・ブームの幕があきました」とあります。


また同協会の「日本のコーヒーの輸入量の推移」というグラフを見ると、戦後、生豆輸入再開した1950(昭和25)年は年間40トン程度であったものが、輸入自由化の1960年に10,707トン、
我が家でコーヒー豆を購入するようになった1975年には109,409トン、看護学生でコーヒー豆を買っていた1980年は174,747トンにもなっています。


祖父がおいしそうに飲んでいたインスタントコーヒーは、もしかしたら日本の庶民が初めてコーヒーのおいしさに目覚めた頃の貴重なものだったのかもしれません。


そして日本の庶民のコーヒーの歴史はたかだか半世紀ほどであり、私の人生はほぼそれに一致していたのかもしれないと、いろいろと記憶をたぐりよせながら思いました。




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