接遇のあれこれ 3 <「接遇」という言葉が聞かれ始めた時代>

ここ数年、両親の受診に付き添う機会が増えたので、あちこちの医療機関に行くようになりました。


その中で、特に30代ぐらいの若い医師や医療スタッフに物腰の柔らかい人が増えたと感じます。
高齢者に対して丁寧に声をかけ、話を聞いています。


仕事柄、「医師の診療の介助」の視点から見てしまうことと、自分もその年代ではまだいっぱいいっぱいで仕事をしていた記憶があるので、「あ、きっと頭の中は診断のことや他の重症患者さんのことがよぎったり、内心は気持ちがあせっていらっしゃるのではないかな」とやきもきしてしまいます。


でもやはり患者側、あるいは患者の家族の立場になると、こうした物腰の柔らかさだけでほっとするものです。


その物腰の柔らかさについついいろいろな話を聞いてもらいたくなる気持ちにブレーキをかけて、診察室から出るタイミングを図ることはけっこう大変かもしれません。。


医師だけでなく、医療従事者全般に言葉遣いや対応が変化した背景に、「接遇」という言葉が聞かれ始めた時代があったと思い返しています。
それは1990年代だったのではないかと。


<「接遇」とは>


wikipedia「接遇」では以下のように説明されています。

接客業務時における客に対する業界スキルのことをいう。

医療に「接客」の視点が入った時代背景には、ひとつはこちらの記事の<パターナリズムからインフォームド・コンセントの時代へ>で書いたように、「説明も治療の一環で、医師から患者への一方的なニュアンス」だったパターナリズムでは医療は成り立たなくなったことがあると思います。


1980年代初めに看護師になった当時の医師というのは、新人からみたら近付き難いほど怖い存在でした。



何が怖かったかというと、「診断・治療」の領域に踏み込んだ発言をすると「君は医師なのか」と叱責されることでした。
特に医師の診断以上の予断をいれて看護側で勝手に患者さんに説明した場合には、かなり医師を不機嫌にさせ叱られた記憶があります。


看護職はたしかに医師の診断と治療方針に沿わなければいけないのですが、生活を整える「看護ケア」になると、もう少し判断がグレーゾンになる部分があります。退院後の生活についての患者さんの不安にも、あたりさわりのないことしか言えない時代でもありました。


患者さんや家族にとっても、医師は怖くて、現代以上に緊張する存在だったのではないかと思います。
外来でも、診察の後に質問することもためらわれる雰囲気がありました。医師の判断に疑義をさしこまれているように受け止められていたのでしょうか。


それがインフォームド・コンセントという「患者さんへの充分な説明と理解を含めた同意の上で医療行為が成り立つ」考えが広がり、医療従事者側も対応を変える必要に迫られた時代であったのだと思います。


1990年代では、あちこちの病院で「接遇」の研修が開かれていたと記憶しています。
その影響が、現在の物腰の柔らかい医師や医療従事者の広がりにあるのだと思います。


それはそれで良い変化を医療にもたらしたとともに、「接遇」とは何かもう少し考えて行く必要があるのではないかと漠然と思い続けています。





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