行間をよむ 30 <「保健指導」という言葉>

1990年代頃から、仕事の中で使う事をためらうようになった言葉があります。
それは「指導」という言葉です。


医療現場、特に看護には「指導」とつく用語がたくさんあります。
「退院指導」はどの科でもありますし、産科でいえば「沐浴指導」「授乳指導」「栄養指導」などなどです。


「なんだか『指導』という言葉は嫌だな。『説明』でよいのでは」と思い始めていた頃に、一緒に働いていた産科の先生がやはりぼそっと「指導って言葉はおかしくない?」と言ったのを聞いて我が意を得たりという気持ちになりました。


おそらく、医療の「パターナリズムからインフォームドコンセント」へと大きく変わり始め、あるいは「接遇」という言葉が聞かれるようになった時期に、同じように感じていた人が増えたのではないかと思っています。


表現が変われば、意識も変わり、行動も変わります。


「この疾患の人は、こういう生活の注意事項が必要」という指導から、「あなたは退院したらどのような生活をしますか。どのようにすればよい治療を続けられますか。あなたはどうしたいですか?」という問いかけを含んだ説明になり始めたのが1990年代ともいえるかもしれません。


ただ、こちらに書いたように、まだ私たち助産師の業務として「保健『指導』」という言葉が法律に書かれたままなので、臨床の意識も行動も変化しているのに法律だけが変化していないような違和感があります。

助産師の定義>
助産又は妊婦・じょく婦若しくは新生児の保健指導を行うことを業とする女子をいう

助産」の定義もあいまいだし、「保健指導」も別の言葉の方がよいと思うし、いったい助産師とは何をする人なのかとまたなやんでしまいそうですが、何かよい表現はないでしょうか。


<「指導」とはどういうことか>


あまりこの言葉を突き詰めて考えた事はありませんでした。
というわけで、またお手軽ですがwikipedia指導を参考に少し考えてみようと思います。

指導とは特定の事項について、かつ明確な理由の下に、指導を行う者(指導者)が指導を受ける者(被指導者)に尊重して取り扱われたことを期待してなされる明示的な行為である。

わあ、読んだだけでも頭がくらくらしそうなわかりにくい一文ですね。


医療の中で「特定の事項について、かつ明確な理由の下に」というのは、「健康や疾病に関して、医学的根拠に基づいた」と置き換えられるのではないかと思います。
「こういう治療効果がある」あるいは「治療によってこういうリスクも生じる」「治療を受けない事を選択すればこういうことが起きうる」などの情報が「尊重して取り扱われたことを期待してなされる明示的な行為」といえるかもしれません。


つまり「医学的根拠に基づく医療を行うための説明」であり、医療の中では医師が最終的な責任を持っている内容と言えるのではないかと思います。


助産師の業務の中でも、産褥期の体の変化と過ごし方、家族計画あるいは新生児の体重や黄疸について養育者に注意を促すための説明は「医学的根拠に基づく医療を行うための説明」です。
言い替えれば、医師による説明を代理で行っていると言えるのではないでしょうか。


それ以外の育児技術的な内容については、「医学的根拠に基づいた」という点で伝えなければいけない事というのは案外少ないものです。
過去に事故が起きたようなことについては危険防止の視点での説明が必要ですが、それ以外は「こうしてもいいし、ああしてもいいですよ」つまり正解もなければ間違いもない程度の話です。


助産師の業務は「専門的助言」「技術的助言」ではないか>


その中で、沐浴だけが厳然と「沐浴指導」という言葉で使われ続けています。
しかもたっぷりのお湯の中で新生児を浮かせながら顔から全身を洗うという、難易度の高い方法を私たちも学生時代から教わってきました。
そして産後の腰痛のおこりやすいお母さんたちにとって過酷な姿勢で、しかも冷や汗をかきながら沐浴実習をさせているところが多いのではないかと思います。


「お湯の中でなくても、外で石鹸で洗って、十分に石鹸分を落とすような方法でいいですよ」
こんな一言の説明ですむ事が、「指導」になっている部分が多いのかもしれません。


それがwikipediaに書かれている「専門的助言」「技術的助言」ではないかと思います。


そして最後の一文の意味は、助産師が「保健指導」という言葉を使うことについて考え直すポイントになるかもしれません。

なお「事項の特定性、または、理由明確性が低いものは、指導の要件を満たしていない。「事項の特定性、または理由の明確性が低いもの」は、指導ではなく単なる一般的助言として扱う考え方もある。

保健婦助産婦看護婦法ができた1948(昭和23)年は、まだ大半の国民が医師の診察を受ける事ができない時代で、助産婦が医師の説明を代行する必要があったのだと思います。


1960年代を境に、日本中の誰もが医師にかかることができ、「健康や疾病に関しての説明」を医師から受けることができるようになりました。


さらに1990年代の「根拠に基づく医療」と「インフォームドコンセント」の流れから、「特定の事項について、かつ明確な理由の下」には医学的根拠が明確にされることが求められてきました。


助産師の「保健指導」という言葉を、漫然と使っているとこうした流れから取り残されるのではないかと不安がよぎります。
「一般的助言」にさえならない代替療法を「保健指導」として取り込むことが多いのを見るとなおさらです。



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