記憶についてのあれこれ 36 <ワクチンとコールドチェーン>

コールドチェーンという言葉をご存知でしょうか?
日本では医療分野よりも、食品分野のほうが使われている言葉かもしれません。


wikipediaコールドチェーンには以下のように説明されています。

生鮮食品や医薬品などを生産、輸送・消費の過程の間で途切れることなく低温に保つ物流方式。低温流通体系。

こう聞けば、クール宅急便などがピンとくるかもしれません。


「途切れることなく低温に保つ」
これがいかに難しいことであるか、そしてそのための方法を表す名称があることを私が初めて知ったのは、1980年代初めの頃に読んだ、「Where There is No Doctor」の本の中でした。


「予防接種プログラムで重要なことは、ワクチンを一定の温度できちんと管理し運搬することである」
そんなことが書かれていた記憶があります。


<1970年代から80年代のコールドチェーンの発展>


1980年代初めの病院には各病棟に当然のように冷蔵庫があり、冷所保存が必要な薬品を保管していました。
こちらの記事に書いたように、日本の家庭に冷凍庫と冷凍食品が普及し始めたのが1970年代後半ですから、わずか10年ほどの間に食品や医薬品の生産場所から、家庭や医療機関での保管までのコールドチェーンが急速に整備されたことになります。


そして、そのためにもうひとつ欠かせないのが安定した電力供給です。
1970年代初頭の、私が小学校低学年の頃はまだ時々停電があった記憶があります。ロウソクや懐中電灯の光の中で、電気が復旧するのを待ちました。


この冷凍・冷蔵技術を中心にした物流が進んだ時期と同じくして、日常生活の中から停電がなくなったように思います。
こちらの<保育器がつかえるということ>で欠いたように、30年ほど医療機関で働いて来た中で停電の記憶は2回しかありません。


少しでも規定の温度より高い状態で保存された医薬品は安全に使えなくなるので、停電があれば保存していた医薬品の大半を破棄せざるを得なくなります。


生産工場から病棟の冷蔵庫まで、一定に冷蔵あるいは冷凍して品質を落とさないで管理できる。
そしてそのために電気が安定して供給される。
これがどれだけすごいことなのか、あらためて思い返すこのごろです。


<ワクチンとコールドチェーン


家庭で冷凍食品を初めて見た時の記憶や停電の不便な生活の記憶がある私でさえ、「Where There is No Doctor」に書かれていた途上国での「ワクチンのためのコールドチェーン」の問題点が具体的に想像できないほど、1980年代の日本はすでにコールドチェーンの恩恵があたりまえになっていました。


「予防接種とCDC」の記事の中で、当時の私のオフィスには冷凍冷蔵庫があることを書きました。
経口ポリオワクチンは冷凍で、DPTとMMRは冷蔵保存が必要です。


その国の首都から定期的に、それらのワクチンは供給されていました。
事務所から国内線空港へ、空港から難民キャンプまでは専用のクーラーボックスに入れて運ばれてきました。
その国では、1970年代の日本と同じように日常生活では停電が当たり前でしたが、難民キャンプ内の国連関係の事務所だけは停電が起こらないようになっていたようです。


当時の私は、日本の医療機関で働いている延長のような感覚だったのだと思います。本当の意味でのワクチンのコールドチェーンの大変さを理解できるようになったのは、もう少し地元の生活にとけ込んでからでした。


「Where There is No Doctor」には、絵でワクチンのコールドチェーンが描かれていたと記憶しています。


車で何時間もかかる辺境の地へ、クーラーボックスに入れたワクチンを運んで予防接種に行く医療スタッフの姿です。


クーラーボックスに保冷剤を入れ、温度計を入れる。
それしかない「コールドチェーン」ですが、それでどれだけの子どもたちの命が助かったのでしょう。
そして、その方法が今もなお世界のあちこちでワクチンを運ぶ「コールドチェーン」である地域がどれだけあるのでしょう。


そんなことを先日の予防接種の記事から思い返しています。





「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら